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完了時制が可能にした時間視野(time view)の拡張

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完了時制が可能にした時間視野(time view)の拡張

完了時制が可能にした時間視野(time view)の拡張

2022/12/09

完了時制が可能にする時間視野(time view)の拡張

現在完了をスマートに使いこなすために

1.なぜ完了時制の公式は「have +動詞の過去分詞」なのか?

 完了時制の公式は、誰もが知っている通り、「have + 動詞の過去分詞」です。しかし、その公式の意味を、公式の構成要素にまで目配りしつつ、きちんと納得のいく説明をしている文法書は見たことがありません。それを丁寧に説明しないのは、英語圏では自明の公式だから、ということなのでしょうか。でも私たち日本人の多くは英語圏で暮らしているわけではありません。そこで、日本語母語話者の私は、敢えて問います:「なぜ 現在完了の公式は《 have + 動詞の過去分詞》 なのか?」と。私たち日本語母語話者たちが学校で学ぶのは、現在完了の公式の構造的な意味ではなく、現在完了の「用法」です。それは、完了と継続と経験に分けられると教えられます。しかし、現在完了などと言う公式を表立って持たない日本語の母語話者である日本人の英語学習者が、学校でそれを学び、その三つの用法とやらを教えられても、完了時制に習熟し、日常英会話において常に正しく有効にそれを活用するのはかなり難しいかもしれません。ひょっとしたら、何年経っても自在に使いこなせないかもしれません。

 そこで私は、それらの各用法が明確に区別でき、実際の場面で素早く有効に使いこなすことができるようになるための基本例文を紹介し、それぞれの文の意味と用法を解説し、並行して、先ほどの質問、すなわち、「なぜ完了時制の公式は 《have +動詞の過去分詞》なのか?」について基本的な考察を加えます。そしてその際、完了時制が可能にした「時間視野(time view)の拡張」と私が呼ぶ、特殊な言語上の仕掛けを、日本語にも見られる類似の仕掛けと比較しながら解説します。そしてその後に、もう少し広い視野で完了時制の果たす一般的な役割に触れながら、シェイクスピアの名作『ハムレット』の原文から興味深い事例を取り上げ、参考に供します。

 1.  Everthing has gone with the wind. (何もかもが風と共に消えてしまった。)[完了]

 2.  I have been reading this novel all this week.  (僕はこの一週間、ずっとこの小説を読んできた。)[継続]

 3.  I have never been to New York. (私はまだ一度もニューヨークに行ったことがありません。)[経験」

 4.  I have seen him several times. (僕は彼に何度か会ったことがある。)[経験]

 5.  He has finished reading the newspaper. (彼はたった今、その新聞を読み終わりました。)[完了]

 6.  She has had no doubt about his integrity. (彼女はこれまでずっと彼の誠実さを疑ったことがない。)[継続]

 例文1は、「(大切な)何もかもが、風と共に消えてしまった」と言う意味です。この文は、自分の周囲の物や人や生活が、何らかの驚天動地の出来事によって、ある日、忽然と眼前から消え去ったことを述べているのです。それらは失ってはじめてわかる極めて大切なものだったのですが、それらが根こそぎ失われ、二度と戻ってこないことが引き起こす、失望と悲しみ、そして、手痛い喪失感を伝えています。アメリカの作家マーガレット・ミッチェルが、アメリカ南部に住む激しい気性を持つ美貌の女主人公の恋を、雄大なスケールの南北戦争を背景に描いたベストセラー小説、そして映画でも大ヒットした『風と共に去りぬ』Gone with the Wind のストーリーを思い出す人も多いでしょう。gone は go の過去分詞で、go には本来、「~の元を去る」「~を辞する」「~から消え去る」というような意味があります。命令法では「さあ、行け」という意味でも使われます。いずれにしても、もうここには居ない、あるいはもういなくなる、という意味を持つところに全体的な共通項があります。has gone だと、「行ってしまった」「消えてしまった」「もう、ここには居ない」あるいは「もう無くなってしまった」という感慨、一種の喪失感が漂います。それにしても、完了形を使うと何故こんなに激しい感情の表現や、尋常ならざる深い含意の伝達が可能になるのでしょうか。全くもって、魔法的というほかはありません。これでも、この公式が持つ言語上の秘密の仕掛けを論ずることは馬鹿げているでしょうか。また、無意味でしょうか?

 なるほど、そう言えば不思議だなと思われた方は、さきほどの問題に答えを出すチャンスに巡り合っています。早速、解答への取っ掛かりを見つけに行きましょう。取っ掛かりは、極めて単純に、次のように問うことにあります。「has gone において、 has が果たしている役割は何か?」と問いかけることです。もっと一般化して言えば、「完了時制において have が果たす役割は何か?」と問いかけることです。それは、「~持つ」、あるいは「~所有する」と言う意味で使われる 他動詞 の have が、何ゆえに、完了時制の公式として用いられているのか、と尋ねることです。

 しかし、この問題に答えるには、もう一つの素朴な問い、すなわち、なぜ ここで 現在形の go ではなく、過去分詞の gone が、他動詞 have の目的語として 用いられているのか?という問いを発し、これにも同時並行的に答える必要があります。なぜなら、完了時制には、現在完了形(have +過去分詞)のほかに、過去完了形(had +過去分子)、未来完了形(will またはshall +have+過去分詞)という形もあり、それらのすべての形に共通している要素こそ、動詞の過去分詞だからです。ここに見られるhave と過去分詞の何とも奇妙な取り合わせは何を意味するのでしょうか。そして何よりも、完了時制の公式に見られる過去分詞へのこの偏執的なまでのこだわりは、一体何を物語っているのでしょうか。私の見立てでは、have と過去分詞とは、ある一つの共通の目標を果たすために、離れ業的な連携をしているのです。

 まず、過去分詞が使われた意味を考えてみましょう。私の見るところ、過去分詞は、所与の動詞の意味を、その現在性においてではなく、過去性において把握し、それをそのまま、永久保存する方便として使われたのです。そう考えない限り、つじつまが合いません。つまり、一旦、過去性を際立たせる語形(=過去分詞)を所与の動詞に与えることで確保した動詞の過去性を、今度は、改めて、私たちの現在の意識に手繰り寄せるための牽引装置として、「(~を現在において)持つ」と言う意味をもつ他動詞 have が用いられたのです。have はこうして、過去分詞という独自の形式に永久保存された過去性とののっぴきならぬ連携を通じて、現在という時間視野(time view)の中に過去が入り込み、その過去が現在に包摂される道を開いたのです。先ほど、have と過去分詞とが、ある共通の目標のために連携していると言ったのは、このことを指します。

 私のこの作業仮説を踏まえて、もう一度、例文1の意味を考えてみましょう。この作業仮説に従えば、gone は go の過去分詞ですから、go の意味を、現在性ではなく過去性において把持しています。つまり「~が行く」ではなく、「~が去った」状態、または「~が空無化した」状態を、gone という過去分詞が固く堅持しているところに、 have が加わります。するとhave は「~が去った」状態、もしくは「~が空無化した」状態を所有することになります。言い換えれば、have は「すべてが空無化してしまった状態」を「(現在において)把持する」のです。それは、一般化して言えば、「have は所与の動詞の過去性を現在において把持する」ということです。これは一体、どういうことなのでしょうか。

 これに正しく答えるには、 have という動詞のある特徴をおさらいしておく必要があります。例えば、I have three brothers. と言えば、「私には三人の兄弟がいます。」という意味です。日本語の感覚では少しおかしいのですが、英語のhave は何かを「所有している」というよりも、何かの存在を宣言するときに使われるのです。ほかにも、I have a headache. と言えば、「私は頭痛がする。」という意味です。これは、「私は頭痛を(内部に)所有する」というよりも、「頭痛が(私の内部に)存在している」というのが日本人の感覚だということです。このような例から、日本人が「~が(私の中に)存在する」ととらえる現象を、英語の母語話者はしばしば「(私は)~を持つ」と捉える傾向のあることが分かってきました。日本人には少しなじみにくい have のこの意味特性を頭に置きながら、英語の完了時制の戦略をさらに深く読み解いていきましょう。

2.完了形における have の役割

 現在完了の公式は、すでに明らかになった如く、「何らかの(過去の)変化」を、「(今現在も)把持する」ためのものです。それは、過去を忘却の淵に追いやるのではなく、現在において生かす作業を意味します。つまり、現在と過去とを、その間の変化や変容をふくんだまま、一つの地平において繋ぐことを意味します。完了時制は、大切な過去の出来事を、何らかの方法で、現在も保持し続けたいと願う人間の切なる思いを受け止める装置なのです。逆に言えば、現在完了の公式は、have によって確保される「現在」の視野をそのまま時間軸に沿って後ろ向きに(=過去に向かって)拡張していきます。そして、そこで遭遇する過去の出来事を、このようにして拡張された「現在」の時間視野(time view)の内部に取り込み、包摂する作業(reaching out into the past events so that we could include them within our extended time view of the present)こそ、現在完了という公式が果たしている役割なのです。この作業こそ、完了形における have の戦略的役割だと言えます。

 以上をまとめると、現在完了は過去に始まった行為や事象の、現在までの継続、もしくは、過去に起こったことの大いなる影響が、途切れることなく、現在にまで持ち越されて存在していることの確認です。このことを、早速、例文2に適用してみましょう。すると、この文は「僕はこの小説を、この一週間ずっと読んできた」と言う意味であり、「(私の)読書行為の(称賛に値する、熱烈な)継続性」を、ある種誇らしげに、伝える文だということが分かります。つまり例文2は、「僕は、この一週間一日も途切らすことなく、その小説を読み続けている」のであって、それを読み始めたのがたまたま「一週間前」なのです。

3. been の役割

 例文3は、完了形を説明するためによく使われる典型的な英文です。意味は「私はまだ一度もニューヨークに行ったことがありません。」です。この文は見た目ほどに簡単ではありません。なぜなら、「行く」と言う意味を伝えるのに、 go ではなく、 been (be動詞の過去分詞)が使われているからです。日本人はきっと戸惑うはずです、「なぜ、go ではなく、 been なのか?」と。その理由は、もしgone(go の過去分詞)を使うと「(ニューヨークへ)行ったことがある」ではなく、「(ニューヨークへ)行ってしまった」という意味になるからです。というのも、go は「~から去る、いなくなる」という意味を伝えるときに使う語であって、「行ってきた」体験、すなわち、「(私がニューヨークへ)行って戻ってきた」体験を語ることはできないのです。例えば、He has gone to New York. と言えば「彼はニューヨークへ行ってしまいました。(当分は戻ってきません。)」という意味です。彼がいつ帰ってくるか、またそもそも帰ってくるかどうかも不明です。そこまで関知しない言い方なのです。要するに、go は「片道切符」の旅には使えますが、「往復切符」の旅には使えないのです。

 ではなぜ、be動詞の過去分詞 been が代用されたのでしょうか。それは次のような理由によると考えられます。be 動詞の本来の意味は、「~が存在する」であり、be 動詞自体には「(~から~まで)往復する」という意味はありません。しかし、過去分詞の been を never と共に使うと、「一度も~に存在した(居た)ことがない」という意味を伝えることができます。これは、見方を変えれば、そのままで、「自分は~に一度も行ったことがない」という意味になり得ます。ただし、本来は、「(~が~に)存在する」というとき使う前置詞は in もしくは atです。でも、ここでは、何も言わずに to が使われています。それは、この前置詞は go to ~(「~へ行く」)という慣用的な言い方を条件反射的に思い出させることから、「移動」の感覚を付与するのに都合がよい、と誰かが判断したからなのかもしれません。もしそうなら、ちょっと強引で姑息ですが。

4.日本語の完了時制への挑戦

 ところで、一つ非常に面白いことがあります。日本語でも、ある種の、というよりもほぼ同種の、工夫を施すことで、一定程度まで英語の完了時制に似た効果をおさめることが可能なのです。私のこの説は、いくつかの事例から論証できます。例えば、

 1.「この写真の人を見たことがありませんか?」

 2.「実は以前に、こんな話を聞いたことがある。」

 3.「こんなに凄い演奏家には今まで一度も会ったことがない。」

 もうお分かりですね。上の例文では「見たこと」が「ありません」、「聞いたこと」が「ある」、「会ったこと」が「ない」、というように、「見る」「聞く」「会う」という動詞に「こと」をつけて名詞化し、次に「が」を挟んで「(~が)ありません」、「(~が)ある、「(~が)ない」、というように「ある」という動詞を公式的に使っていることが分かります。そして、「ある」は「在る」ですから、「存在」を表す大和言葉です。ところで、英語で「存在」を表す代表的な語は、勿論、 be動詞です。例えば、He is in New York now. 言えば、「彼は今ニューヨークにいる。」という意味です。日本語の「ある」は、「~は~である」という使い方をすることで、be 動詞の第二文型のの使い方とそっくりな働きをさせることができます。例えば、「吾輩は猫である」は、英語では I am a cat. と言います。ここでは、日本語の「ある」から派生した「~である」の使い方と、 be動詞の一人称単数、現在の am とは、日英両言語に通有の語順の違いを除けば、ぴったり対応しています。

 日本語の「あるーなし」に英語の have -- have not が対応しているケースが、完了形以外にもかなり見受けられるのは、日英両言語に見られる共通要素、または類似的言語特性の存在を立証する事例として大いに注目に値します。次の例を見て下さい。

 1.「彼には三人の兄と二人の妹がいます。」(He has three big brothers and two little sisters.)

 2.「私にはその車を買うだけのお金がありません。」(I don't have  enough money to buy that car.)

 3.「何も心配することはありませんよ。」(You don’t have to worry about anything.)

 4.「何か質問がありますか?」(Do you have any questions?)

これらの例は、英語の have と日本語の「~がある」が、本来は同一の事象を、二様に捉える言語的方便として、また、取り分け、日英両言語間に見られる対照的な言語的対応事例として、私たちの記憶にとどめる価値があります。これはまた、同一の事象を切り取るのに、複数の異なる言語の型がある、という一般命題としてまとめることが可能かもしれないことを示唆しています。

5.seen の役割

 次に例文4 は「僕は彼に何度か会ったことがある。」と言う意味です。see は一般に「~を見る」とか「~を理解する」と言う意味でよく使われますが、ここでは「~に会う」と言う意味で使われています。この文では「何度か( several times )」と言うフレーズが「文脈(context)」を形成する決め手になっていることに注意しましょう。そして、「会う」は人間同士の「出会い」であって、短時間、かつ「一回性の事象」を強く暗示します。observe や watch が含意として持っている「行為の継続性や観察の客観性」は see にはほとんど認められません。そこで、例えば、「私」が日を改めて「何度か」彼に会ったとしても、そのこと自体は自然なこととして受け止められるのです。つまり、一定の期間幅の中で、数次にわたる会見が彼との間に存在した、ということが述べられているのですから、現在完了の三用法のうちの「経験」を表すと解釈するのが自然です。ただし、この表現は、「私」が彼に会った正確な回数が問題になっているのではなく、自分には「何度か彼に会ったこと(=経験)がある」というこが、この発言を聞く相手に、含意として、伝わるのです。言い換えれば、「(自分は彼を)ある程度知っている」と言う意味合いが重要なメッセージとして相手に伝わるのです。したがって、抑揚を工夫すれば、例えば、「彼をあなたに紹介することもできますよ」と言う意味すら、言外に含めることも可能です。逆に、このような含みをどうしても相手に伝えたいと思うとき、好んで完了形が選ばれるのです。会話はコミュニケーションの代表的手段です。そして言語によるコミュニケーションが十分な意味を持つかどうかは、「誰に何をいつどのように伝えるか」にかかっています。完了形は、狙いすまして、正しく使えば、コミュニケーションの強力な武器となることは自明です。

6.現在完了の完了が持ちうる余韻、または含意=「時間の奥行き(depth of time)」

 例文5は「彼は今しがたその新聞を読み終わった」という意味ですが、finish ~ing という決まった言い方が使われているため、「~し終わる」という意味が明確に相手に伝わります。しかし、そうなら、単に He finished reading the newspaper just now. でも同じ意味が相手に伝わるのではないかとの疑問が湧いてきます。けれども、完了形を使うと、「彼は今までその新聞をずっと読み続けてきたのだが、今やっとそれを読み終えた」という意味が伝わり、一定程度の緊張の持続、なにがしかの達成感が、そこに付随的に感じられるのです。これを一般化して言えば、現在完了の完了を表す文からは、特定の行為や事象の継続、もしくは連続が前提となることによって、それを聞いたり読んだりする者にとって、「時間の奥行き( depth of time)」が感じられると言っても同じことです。新聞を読むという行為に引きつけて言えば、例えばある場合には、重厚な記事がいくつもそこに書いてあって、それを今やっとすべて読み終えた、ということを伝えたい発言であるかも知れません。この場合、時間の奥行きとして、彼の新聞を読むという行為の連続性、もしくは注意深く読む作業の継続性、といった超密な時間の厚みの感覚に触れる思いがするのです。

 他の例を挙げれば、He has been living here fifty years. と言えば、「彼がここに住み続けてもう五十年です」という意味になります。「そんなにも長い間~してきた」との感慨が、それを言う「私」から、それを聞く「相手」に伝わるのです。ところが、He lived here fifty years. と言えば、「彼がここに住んだのは五十年です」と単なる一過性の事実を指摘するだけになります。年代記作者か歴史家にふさわしい言い方です。また、 I have just read the book. と言えば、「僕はたった今その本を読み終わったところだ。」という、ある種の余韻、もしくは共有されうる臨場感が、それを聞く相手に伝わります。言外の意味としては、「今ならいつでもあなたとその本に関する感想の交換をすることができますよ」とか、「その本は、読むのは骨が折れたけれど、内容には十分満足しています」というような意味合いが、一つのニュアンスとして漂いうるのです。これに対して、It is a book I read some twenty years ago. と言えば、「それはかれこれ二十年位前に読んだ本(の一冊)です」という意味であり、その本をほとんど「自分が読んだか、読まなかったか」にだけ焦点を絞ったような言い方になります。

7.例文 6 の She has had no doubt about his integrity. は「彼女は彼の誠実をずっと疑ったことがない」という意味です。「疑わない」という状態がこれまでずっと続いてきている、という意味で、用法は「継続」です。これがもしShe has doubted his integrity several times.(「彼女は何度か、彼の誠実を疑ったことがある」)なら、明らかに疑うという行為を何度かしたことが分かるため、用法としては「経験」です。しかし、例文 6 はそのまま素直に読めば「彼女は、彼の誠実を疑わない状態を、これまでずっと持ち続けてきた」と解釈できるのです。勿論、She has never doubted his integrity. と言い換えても、同じ意味が通じますが、これだと、「彼女は彼の誠実を一度も疑ったことがない」という意味となり、「疑う」という行為が積極性をもってイメージされます。すると、その行為が「一度もない」と強く否定されても、その行為への言及があることによって、いわば「架空の行為」として、「疑う」という行為のイメージが残像のように残ります。すると、用法としてはむしろ「経験」として分類されるかもしれません。この場合、分類自体にさほど大きな意味はありませんが、聞く人に伝わる微妙な違いをよく噛みしめて表現を選んでください。

8.時間に奥行きとダイナミズムを付与する完了時制の効用

 完了時制は時制一般の中のほんの一部を引き受けるだけですが、これを他の時制、とくに過去、現在、未来、また仮定法と組み合わせることで、私たちの日常のコミュニケーションは、見違えるほど確かで、実り豊かなものになります。完了時制がどのような時に、どんな働きをするかは、文脈がはっきりしている事例にあたると、なるほど、と理解が進みます。実例を挙げてみます。『ハムレット』の第一幕第一場はデンマーク王の亡霊が出る場面ですが、それを見た見張りの兵士たちの会話の中に、さりげなく完了形が使われています。それらはどのような効果をもたらすのでしょうか。

  BARNARDO   It was about to speak when the cock crew.

        HORATIO   And then it started like a guilty thing

                       Upon a fearful summons. I have heard,

                       The cock, that is trumpet to the morn,

                       Doth with his lofty and shrill-sounding throat

                       Awake the god of day; and at his warning,

                       Whether in sea or fire, in earth or air,

                       Th'extravagant and erring spirit hies

                       To his confine. And of the truth herein

                       This present object made probation.

   MARCELLUS   It faded on the crowing of the cock.

                        Some say that ever 'gainst that season comes

                        Wherein our Saviour's birth is celebrated,

                        This bird of dawning singeth all night long,

                        And then, they say, no spirit dare stir abroad,

                        The nights are wholesome, then no planets strike,  

                        No fairy takes, nor witch hath power to charm,

                        So hallowed and so gracious is that time.

   HORATIO      So have I heard, and in part beieve it.

                        But look, the morn in russet mantle clad

                        Walks o'er the dew of yon high eastward hill.

                        Break we our watch up, and by my advice

                        Let us impart what we have seen tonight.

                        Unto young Hamlet, for upon my life

                        This spirit, dumb to us, will speak to him.

                           (Hamlet Prince of Denmark, The New Cambridge Shakespeare, ed. by Philip Ewards, 1985, Act I, 147-171.)

 赤で表示した三つの完了形をご覧ください。これらは、「(私はこんな話を)聞いたことがある・・・」とか「(私もそのように)聞いたことがある」とか「(我々が今夜)見たことを(ハムレット王子にお伝えしようではないか)」というように、明らかに兵士たちが噂で聞いたこと、また自分の目で見たことを、目の前にいる相手、またはハムレット王子に、伝えるという文脈で使われており、現在完了の用法としては「経験」であることも容易に見て取れます。では、その効果はどのようなものでしょうか。現在完了は、これまでの議論から明らかなように、何らかの理由で、時間視野の拡張の必要が感じられたときに使われます。特に最後の例は、先ごろ亡くなったデンマーク王ハムレットの亡霊が、深夜、城の見張りの兵士たちの前に現れ、呼びかけても何も言わずにそばを通り過ぎたので、ハムレット王子になら何か言うかもしれない、と思う場面です。この時、完了時制を使った時間視野の拡張は、これらの出来事を一旦言語に封じ込めることを可能にします。兵士たちの脳裏に刻まれたその記憶は、王子ハムレットとの、時間差を置いた経験の共有に生かされます。

 しかし一方では、「今夜我々が見たこと」という風に、一個の「特異な経験」として兵士たちの脳裏に刻み込まれたことが、台詞において、現在完了という処置を施されることで、私たち読者、あるいは観客にも、その経験が生き生きと伝わってくる仕掛けになっています。また、「聞いたことがある・・・」というホレイショ―の言い方は、これから自分が語ることは、不特定多数の人間に共通する記憶として保持されてきた、というニュアンスで語られます。確かに、イエスの降誕は、聖書の中の特異な出来事、とりわけ、世界中のクリスチャンにとって極めて重要な出来事として、キリスト教の中核的伝承に組み込まれています。聖なる神の権威をもって生まれた、光り輝くイエスの存在を前にすれば、あらゆる悪霊や魔物は、恐れをなして地下に潜り、地上から一切の姿を消す、という言い伝えが、『ハムレット』というドラマの中で、デンマーク宮廷の中の隠された悪行と背徳を炙り出し、間接の外れた世を正常に戻すという、崇高な使命を帯びたハムレットの登場を、私たちに期待させる効果につながっています。

 それにしても、亡霊は一体何を語りたかったのでしょうか。その答えは第一幕第五場まで持ち越されますが、それはこのドラマのメインテーマに関係することです。であれば、ここで使われた現在完了の劇的な効果は、正に、抜群だと言って差し支えありません。

 

 

 

 

 

 

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