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オーストラリア式英語発音教育の意味と可能性

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オーストラリア式英語発音教育の意味と可能性。

オーストラリア式英語発音教育の意味と可能性

2023/06/10

オーストラリア式英語発音教育

英語発音教育の複線化

1.オーストラリア式英語発音教育の意味

 A. 英語初心者とは何か

 以前にオーストラリアに2年ほど住み、英語で生活したことのある日本人の方から、弊社のオンライン英語講座の授業に関する問い合わせをいただきました。それによると、自分は英語を話せるが、知り合いに、英語が全くできない人がいる。そこでその人に英語ネイテイィブの講師の授業を受けさせたいが、可能だろうかというものでした。でも、英語が全くできない人は、英語ネイテイィブの講師の英語も全く聞き取れないので、授業が成立しませんよ、と言うと、自分も一緒にその授業を受け、随時、講師の英語を通訳するつもりだ、という答えが返ってきました。そこで、さらに、それだと、英語がかなりできるあなたには、初歩の英語レッスンにつきあわされることになり、メリットがないのではありませんか、と重ねて尋ねたところ、実は自分はもう長く海外に行っていないので、この際、リスニングとスピーキングの良い練習になるからよいのです、ということでした。また、授業料も二人分払う用意があるとのことでした。

 これは、私にとっては、いきなりの難問であり、前例もなく、処理の仕方が分かりませんでした。譬えてみれば、見たこともない、難しい変化球 に似ていました。球筋を正確に読んで、それにうまくバットを合わせれば、ひょっとして、幸いにもヒットにすることができかもしれないものの、少しでもビビったり、目測を誤ったりすれば、きっと空振りする、と確信しました。ただ、そんな私に、おやっと思わせ、本腰を入れさせたのは、その方の声の明るさでした。言葉に少しもよどみがなく、100%のコミットメント(commitment=責任をもって何かをやり遂げようとする態度、もしくは使命感)が感じられました。そこには、現代のネット社会にありがちな、用心深く、計算高い精神、冷やかし、揶揄、疑い、といった要素は皆無でした。実は、当初、弊社は、一人一コマ40分1,000円という破格の格安料金を前面に出し、8~30人くらいのグループ授業を、毎学期、複数展開すれば、オンライン教室としての経営は成り立つと、目論んでいました。勿論、根拠のない皮算用に過ぎませんでした。しかし、膨らんでいた思い上がりが徐々にしぼみ、やがて、それが永久に実現しない空想であったと思い知らされた頃には、辺りを包む濃霧の中で、急に視界不良となり、閉塞感に襲われ、例え一人の受講希望者でも、もし現れれば、同じ料金で、採算を度外視して、引き受けるほかないと、鬱状態の中で、自己暗示をかけたかのように、思い詰めていました。すると、そのタイミングを待っていたかのようにある方から電話がかかってきました。一回1,000円なら非常に安いので、私から英語中級の授業をうけたい、との申し込みがありました。私は何も考えずに二つ返事で承諾しました。ところが、その方は、最初、本名を名乗りませんでした。対面が前提のzoom での授業には、終始、顔を隠したまま出席し、事前に渡したテキストはほとんど予習せず、毎回、余裕しゃくしゃく、お手並み拝見、という感じの受講が一週一回のペースで続きました。しかし、お互いに真剣さを欠いた授業は長く続くはずがありません。七回が終わったところで、先方から一方的に「もう結構です」と言って、受講を中止しました。「取るものは取った」と先方は判断したのです。双方にとって不毛な「微温的」授業が終わったとき、私は下船しても残る船酔いにも似た「最悪」の心境になりました。思えば、ふてぶてしく、人を小馬鹿にしたような態度・物腰は、実はそっくりそのまま、こちらのスタンスと方針の反映だったのです。個人を相手にしているのに、複数の人数で構成されるクラスを相手にするときの手法と態度でしか望めない硬直と横柄さと鈍感さに対するしっぺ返しだったのです。弊社の方針は、根本的に、時代に逆行していたのです。そこで1年くらいの時間をかけて構想を練り、これまでの方針に大転換を施しました。その結果が、個人のニーズに特化した「完全オーダーメイド」の英語授業です。授業料も、一コマ(40分)5,000円(+消費税)とし、相手の本気度を試す値段に設定しました。もし商談がまとまれば、受講者は、10回分の授業料を前納する(希望により更新可)ものとしました。今回、メールで相談を寄せられた方は、この新システムを受け入れ、こちらの設定した条件をすべて了解された上で、先ほどの変則的な要望を寄せられたのでした。それは、実は、弊社の新方針である「完全オーダーメイド授業」への本気の挑戦状でもあったのです。

 さて、弊社に在籍しているネイティブの英語講師は、元来、英会話の中級および上級クラスの担当でした。そこで、この件を持ち出すと、それでは約束が違います、と強い口調で断られました。実は、その講師は、これまで沢山の日本人学生を、日本国内、またオーストラリアの大学の集中コース等で、教えられた経験があり、彼らになら、何を話しても大抵は理解してもらえるとの自信を持っておられたのです。ところが、今度の受講希望者は、英語が全くできない社会人なので、そのような人に英語の基礎を教えた経験がなく、どうしてよいかわからない、ということでした。理屈は通っています。言われてみれば、いちいち、もっともな話です。しかし、私の正直な気持ちとしては、もし英語ができないとおっしゃる社会人が、それでも本気で英語を学びたいのなら、弊社のオンライン英語講座でこそ、しっかりと学んでもらいたい、と思いました。それに、私に相談された方は、何故か、かたくななまでに、ネイティブの講師の授業にこだわっておられました。私としては、他に頼む当てもないこともあり、わがことのように熱心にお願いしました。その講師は最後に、それでは何とかやってみます、しかし、慣れるまでは不安もあるので、念のために私にも授業に参加してもらえないか、といわれました。普通なら断られるはずの、無理なお願いをした手前、また、それがどんな授業になるのか、拝見したい気持ちも手伝って、青天の霹靂、降って湧いたようなオブザーバー参加の要請でしたが、ここは一つ、快く引き受けることにしました。

 授業は二週間に一度のペースで今年(令和5年)の5月にスタートしました。ところが、当の本人も予想しないことでしたが、英語初級の方の仕事が4月を境に、急に忙しくなって、直前のキャンセルや、当分は参加の見通しが立たない、といったことが重なり、まだ三回しか授業が進んでいません。しかし、私としては、オブザーバーで参加させてもらっている間に、いくつか目新しい発見をしました。それが今回、オーストラリア式英語発音教育の存在理由と、それが日本の英語教育にもたらしうる可能性について考えてみたくなった理由です。

 講師との話し合いの中でハッと気づいたことがまず一つありました。それは、ネイティブの英語講師が常識として持っておられる英語初心者のイメージの私たちにとっての特異さです。私たちの心に浮かぶ英語初心者のイメージをまず確認しておきますと、それは十中八九、英語学習の初歩で躓いた人、すなわち、日本の義務教育の一環として日本人の全てが学ぶ中学英語の成績が、残念ながら、芳しくなかった人、そしてその後も、英語への苦手意識を長く引きずっている人が思い浮かびます。一言で言えば、学校で英語を学んだが全く身につかなかった人のことです。でも裏を返せば、それが私たち日本人の常識でもあるのですが、英語初心者と言っても、それが日本人である限り、中学1年で学ぶ文、例えば、This is a pen. とか、How are you? とか、How do you do?   が全く発音できなかったり、意味が理解できなかったりする、などと言うことはほとんど考えられません。単語にしても1000語くらいは十分頭に入っています。

 ところが、今回私が、英語ネイティブの講師に、英語初心者への授業をお願いして断られた表向きの理由の他に、もう一つ大きな理由があり、それは、講師にとっての英語初心者は、文字通り英語ができない人だったからでした。初歩の英語って、一番易しい英語のことでしょう?そんな易しい英語を、なぜ「ネイティブの英語講師」ともあろう人が教えられないのと、いぶかしく思うのは日本人だけです。実際には、英語が全くできない人に英語を基礎から教えるのは、英語ネイティブの講師にとっては、中級や上級の人に教えるよりも、はるかに難しい課題だったのです。彼らにとっての英語初心者は、英語を一言も理解できず、一語も発音できず、一語も書けない人でした。まるで赤ん坊さながらに、英語単語一つも知らず、聞くことも発音もままならない人に英語を教える場面を考えると、説明に使う英語自体が全く相手に通じないことに加え、アルファベットの最初の文字 a から、一個一個、教えなければならず、単語の読み方にしてもーーその理由はこの後すぐに詳しく説明しますがーーそれを正しく教えるには、途方もない準備が必要となります。それがどれほどのものなのか、私自身、そこまで深く考えてもみませんでした。しかし、実際に、オブザーバーで授業に参加してみて、その負担の重さを、用意されたパワーポイントの資料の多さから、ひしひしと感じることができました。不明を恥じ、大きなショックを受けましたが、同時に、講じられた準備の周到さに、慄然とし、オーストラリア式英語発音教育の底力を見せつけられたような衝撃を感じました。講師は、英語の初心者にとって、決して一筋縄ではいかない、英語発音の不規則性を、見て見ぬふりをするのではなく、真正面から受け止め、ご自身、幼少期に受けられたたはずの西洋流英語教育の知見をベースに、英語発音の規則を、例外の束とセットにして、「スペリングと発音の関係」という観点から、的確かつ詳細に、説明されたのです。

 「スペリングと発音の関係」だって?それ、何のこと?と思っていらっしゃる方はいらっしゃいませんか。それは次のようなことです。つい今しがた述べたように、英語ネイティブの人たちにとっての英語の初心者は、赤ん坊にも似て、アルファベットの発音の仕方を全く知らない人のことです。ですから講師は、色々な単語を例として提示しながら、それらの読み方を示し、その読み方が条件によって異なることをめぐる法則性、すなわち、同一のアルファベットの、条件次第で異なる読み方の例を、システマティックに解説されたのです。でも、「条件次第で異なる読み方」って、一体、何のことでしょう?耳慣れない言葉ですね。

 英語は、日本語の五十音に相当するアルファベット26文字の読み方の全てを覚えれば、原則的には、書かれた英語は全て声に出して正しく読めるのですが、実は、そこに若干、含みがあるのです。日本語と異なって、英語は、語を構成する際のアルファベットの読み方(発音の仕方)に例外が多く、実際問題として、アルファベットの例外的発音への、多岐にわたる膨大な予備知識がなければ、ほとんどの単語は正確には読めないのです。例えば、アルファベットの c は、city やcite や pace では/s/ と発音されますが、cloud や cook や basic の場合は/k/ と発音されます。また、special では、おなじ c でも、/ʃ / と発音されます。また、日本語の「ア」「エ」「イ」「オ」「ウ」に対応する五個のアルファベット、すなわち、a, e, i, o, u は、それ自体では、決まった発音を持たず、それぞれ複数の可能性の中で存在しています。例えば、 a を取り上げるならば、make の a は/ei/ と発音されますが、mad の a は/æ/ と発音され、 small の a は/ɔ:/ と発音されます。

一般にどの言語でも、所与の単語は、それ以外の全ての単語と、互いにスペリング(=個々の単語を構成するアルファベット集合内の、弁別的組み合わせ)が異なることで、発音・意味・文法的役割が、それぞれ他から区別され、独立の単語として、コミュニケーション上の不可欠の機能を、他との連携において、遺憾なく発揮し、そのことによって、人類の言語活動の全体を支えています。

ところが英語においては、先ほど挙げた五個の母音に対応する五個のアルファベットの任意の一個に対して、そのアルファベットを内包する単語が、同じアルファベットを内包する別の単語に変わるごとに、そのアルファベットは、異なる子音の組み合わせに前後を包まれることになりますが、それらの組み合わせ次第で、先ほど触れたように、それまで可能性としてのみ存在していた、複数の発音の中から、特定の一個が選ばれ、発音が決定する仕組みになっています。したがって、日本人の目から見れば、英語の母音の発音は、その母音を取り巻く子音の組み合わせ次第で、その中身が、くるくると、猫の目のように変わるのです。日本語の五十音のように、音と文字とが一対一の対応をし、独立的、かつ固定的に働くわけではありません。そして、英語に潜む発音の端倪すべからざる変幻性を規律的に支配する原理は、決して存在しないわけではありませんが、それらを網羅的に突き止め、規則の一覧表としてまとめるのは至難の業です。

 しかし、英語圏では、昔からスペリングと発音の間の関係が詳しく追及され、ついに、それらを集大成した特殊な発音指導システム、フォニックス、が開発されました。かくして、英語ネイティブによる英語ネィティブへの発音指導、言い換えれば、英語のアルファベットの正しい読み方の指導が、スペリング特性、すなわち、アルファベットの配列特性に配慮しつつ、単語別に、あるいは、単語グループ別に、教えられるようになったのです。そして、その結果、何が起こったでしょうか。英語圏では、正しい発音が、正しいスペリングを自動的に推測させるまでになったのです。スペリングと発音の関係を、整合的に説明する暗号が全て解けた状態にあると言っても同じことです。英語にも同音異義語が一定量存在しますが、全体から見れば、その分量は微々たるものです。しかし、発音を整理して、漢音にはあった四声を受け継がなかった日本語流の漢字の読み方は、日本式発音の規則に合わせて簡易化され、平板になりました。日本人にとって、漢字は、極めて読みやすくはなりましたが、無数の同音異義語に溢れています。日本語では、このため、文脈から推測する以外には、発音を聞いて文字を思い浮かべることが、極めて困難になったのです。例えば、「サンセイ」という音に対応する漢字を取り上げても、「賛成」「酸性」「三省」「三世」「参政」などがあって、文脈なしでは全くお手挙げです。

 さて、ここまで読んでこられた方は、それにしても、英語圏ではなぜそこまで英語発音が複雑で、マスターするのが難しいの?日本では、簡単ないくつかの英語は誰でも知っており、みんなそれらを正しく発音することができるのに?と思っていらっしゃいませんか。でも、そこには、日本人が英語を学習するにあたって、よほど注意しなければ、大きな躓きの原因となる厄介な事情が潜んでいるのです。でも、その話に移る前に、英語の四技能に関する常識を一つおさらいしておきましょう。

 ご承知のように、英語の半分はスピーキングとリスニングであり、残りの半分はリーディングとライティングです。英語の運用に関するこの四つの側面を、私たちは、英語の四技能と呼んでいます。ところで、日本人にとっての英会話は、英語の四技能のうちの、前の半分を指します。しかし、一般に「英語」と言えば、最初の半分に加えて、後者の半分も含みます。そして、学習者は多くの語のスペリングを覚え、それらのスペリングを正しい発音で声に出して読むことができなければなりません。言い換えれば、単語の発音が正しく人に通じるよう、正しく発声されなくてはなりません。つまり正しい発音を学ばなければ、英語学習者は、決して英語を学んだことにはなりません。でも、教室で、先生が正しい英語の発音を日本人に教えるのは、一般に日本で考えられている以上に、難しい準備が必要なのです。この事実を事実として、しっかり把握したとき、私たちは、改めて、オーストラリア式英語発音教育の意味とその可能性というテーマが、十分考察に値するテーマとして、しっかり意識され始めます。ですから、まず、日本における英語発音教育の問題点をおさらいしておきましょう。

  B.  英語発音の難しさ:その1.スペリング通りには発音できない

 英語発音の難しさは私たち日本人の間で、とっくに常識になっています。このテーマは、英語文法の必要性、並びに難解さと、セットになっており、特に戦後、アメリカ英語がどっと日本に入ってきて以来、日本人の脳裏に深く刻まれて今日に至っています。そこで、まず簡単に振り返っておきたいのは、ここ10年ほどの間に文部科学省が主導して全国に普及させた、小学校や中学校へのALT(Assistant Language Teacher=語学指導助手)の派遣事業です。当初、ALTに期待されていた役割は、英語の発音教育に限ったものではありませんでした。彼らには、英語で話す練習、リスニング力の強化、異文化理解の普及と増進、などが期待されてきました。ただ、英語発音を正しく学ぶことの重要性は、近年、日本人の間でますます理解が進み、今では、ALTの先生方に期待される達成目標のうち、決して小さくはない部分が、生徒たちの英語発音の抜本的改善、もっと言えば、日本人的発音の矯正です。そして、勿論、日本人の英語発音の矯正は、日本人の英語コミュニケーション能力の飛躍的向上に直結しており、このことの重要性を正しく評価し、理解できる大人たちの数も着実に増えてきています。

 ところで、英語ネイティブを含む ALT の全般的な英語運用能力は、日本人のそれをはるかに超えているので、まず、申し分ありません。しかし、日本人がなぜ英語の発音を苦手とするのか、日本語を学んだことのない人には、その原因まではよく分かりません。彼らは教室で初めて生徒たちと対面したとき、日本語なまりの強い英語を耳にして、「これはひどい、可哀そうだ、何とかしてあげたい。」と思っても、「さて、どこから手を付ければよいの?」ということになりがちです。そこで、つい、「一緒に私の真似をして大きな声で言ってみましょう」という、無難で、古典的な、復誦方式の指導法に逃げてしまいがちです。これが無意味だとは言いませんが、本当は、かゆいところに手の届く、エキスパートの指導が必要なのです。さすがの ALT にもそこまでは期待できないとなると、せっかく文部科学省が全国の都道府県に多額の補助金を配り、日本人の英語発音の矯正という悲願に向けて、満を持して実施したALT派遣事業も、大方の期待を裏切ってしまう可能性が高いのです。では、私たちは一体どうすればよいのでしょうか。行く手を阻む障害を除き、この国民的隘路から抜け出す方法は果たして存在するのでしょうか。

 私の答えは、今さら何?そんな馬鹿な!と思われるかもしれませんが、ほかの誰からでもなく、日本人から、英語発音を学び直すことです。灯台下暗しです。確かに、英語発音を学ぶことの、超が付くほどの難しさに加えて、英語発音を何とかマスターした日本人が、これまた超が付くほど少ない事実は、私の提案の実行可能性の半端でない低さを、明確に、指示しています。ただ、少数とは言っても、英語発音を完全にマスターした日本人が決して一人や二人ではないことも事実です。本気で探せば、必ず、何十人、何百人と見つかります。それだけではありません。日本人でありながら、見事に英語発音をマスターした人なら、日本人にとっての英語発音の難しさの原因、並びにその対処法を、慣れ親しんで育った日本語の特徴を踏まえ、正確に割り出すことができるはずです。そこで、ネイティブの英語発音と日本人の英語発音との差を、細部まで知りつくしたうえで、そのギャップを埋めるべく、合理的な厳しい訓練を自らに課した結果、英語発音において、英語ネイティブと比べても、ほとんど、遜色のないレベルにまで達した人が、もし一人でも見つかれば、私たちはその人に、全幅の信頼を置きつつ、日本人への英語発音教育をお任せするのが順当、かつ妥当ではないのかと、申し上げているのです。

 でも、これまで長い間、ネイティブ発音至上主義から抜け出せないでいる方にとって、これは、天地のひっくり返ったような、唐突、かつ突飛な考え方か、さもなければ、全く現実味のない「おとぎ話」にしか聞こえないかもしれません。そこで、頭を冷やすために、自分に向かって次の質問をしてみましょう。「それでは、あなた自身は、日本人の英語発音への、極度の苦手意識が、一体どうして生まれたのか、その由来と現状と解決策を、よどみなく、滔々と開陳することができますか?」と。もうお分かりだとおもいます。実は、このテーマは、日本人がこれまで自らに問いかけることを周到に避けてきた問であり、長い間、解決が持ち越されてきた民族的懸案事項なのです。この問を自身に向かって発し続ける勇気のない人は、一瞬にして、自動的思考停止状態に陥り、誰か他の人にその解決をゆだね、自分はそそくさと安全地帯に身を置こうとします。これが「逃げ」でなくして何でしょう。ですから、この問題は日本人にとって、見かけよりもずっと重く、その解決は、さらにむずかしいのです。このテーマは、これまで何十年も、日本人の意識の片隅にひっそりと存在し続けてきたのですが、いま改めて、真正面から取り上げることで、今度ばかりは、多くの方が、「なるほど、あまり簡単な話ではなさそうだ。」と、気づき、このテーマを追求することの必要性、並びに、正統性が、やっと腑に落ち、心から納得されたはずです。

 結論的に言いますと、日本人にとって、その矯正を含めた、改善課題としての「英語発音」の問題は、日本文化の中心に位置し、その精華ともいうべき日本語、そして日本人の心そのものでもある日本文化の、ほの暗い無意識のレベルにまで達する、鋭い問いかけを含んでいるのです。その証拠に、今でも、平均的な日本人は、「英語の発音」と聞いただけで、冷静になるどころか、逆に、頭に血が上り、困惑の極みに達した後、吐き捨てるように、こう言うはずです。「いやもう、あの立て板に水の、それはそれは滑らかで、流暢この上ない、あの英語のリズムでしょう?それに、日本語とは似ても似つかない色合いを持つ、あの高速の英語発音!とくれば、私などとても無理。逆立ちしても、真似なんかできませんよ。」あるいは、「英語って、ほら、あれ、リスニング(聞き取り)の難しさ!こ・れ・が一番の問題なんだよねー。」などと、半ばはにかみ、半ば悔しそうな、ため息にも似た一言が聞こえてきそうです。つまり、日本人は「英語をしゃべることは超が付くほど難しく、ことに、リスニングの難しさにも直結している英語の発音は、どうあがいても、合格点がもらえるレベルにまでは学びきれるものではない。」と極めて悲観的に、というよりも、絶望的に、感じているのです。この自虐性の、しかし、妙にきっぱりとした口調は、「頼むから、日本人の英語発音に対する苦手意識の由来を、底の底まで探ってくれ」とでも、呟いているように響きます。日本人がすでに直感的に感じ取っているのは、日本語と英語の間にはっきりと存在する、海のように深く、想像を絶するスケールを持った文化の溝なのです。この溝を埋めるには、少しばかり手間がかかります。が、まず必要なのは、前段階としての、正しい現状分析と評価です。

 少し冷静になって考えれば誰にでもわかることですが、日本人が英語の発音を難しいと感じる理由は、二つあります。一つは、英語のスペリングと、英語の発音、の間に見られる、質(たち)の悪い不整合です。そして、もう一つは、日本語には無い英語の発音の数々、並びに、英語特有のイントネーションの発出機構です。ここでの議論は、ひとまず、前者の理由に集中します。

 前者の理由を一言で、分かりやすく言えば、英語の単語を見たとき、そのスペリングが予想させる発音と、実際に発音される音との間には、相当に大きなずれがあるということです。それは、英国が多年にわたってデーン人、ケルト人、アングロサクソン人など、多くの民族の侵入を許し、最後に、1000年近く前にノルマン人の侵攻を許し、以来数百年にわたって言語的弾圧を受けた、過去の歴史の結果であるとはいえ、今や世界中の英語学習初心者に、甚大な影響を与え、彼らに、英語の音読(reading aloud)を著しく難しい課題に変えてしまったのです。実際、例を見ていただくとお分かりのように、多くの単語についての初心者の発音予想は、ほぼ確実に外れます。例えば、table はローマ字式に発音すれば、「ターブレ」となるはずですが、実際の発音は「テイブ(ル)」です。また、you はローマ字式に発音すれば「ヨウ」ですが、実際の発音は「ユー」であり、同様に、knife は「クニッフェ」ではなく、「ナイフ」です。他にも、 have は「ハベ」ではなく、「ハブ」であり、paper も「パペル」ではなく「ペイパー」であり、are は「アレ」ではなく、「アー」であり、orange は「オランゲ」ではなく「オリンジ」であり、 line は「リネ」ではなく、「ライン」です。lion は「リオン」ではなく「ライオン」です。toは「トー」ではなく「トゥー」です。for は「フォル」ではなく「フォー」です。

 ところで、日本人は、英語を学び始める直前に、小学校でローマ字を学習します。ローマ字は、英語に使われるアルファベット26文字をつかって、日本語を記述することが可能です。そして実際、学校では、自分の名前をローマ字で書く訓練を受けます。ローマ字の名前はパスポートや各種のカードや申請書にもたびたび使われますし、鉄道の駅の名称、道路標識などにもしばしばローマ字が使われるため、その知識は日常生活において今や不可欠です。しかし、ここで、何という不運か、このローマ字の知識が、学校で英語を学ぶときには邪魔になるのです。上に見たように、ローマ字式の読み方が、英語には全く通じないというだけでなく、日本人は、ローマ字の知識があるばっかりに、英語の発音を間違えやすくなるのです。例えば、home はローマ字の知識があれば、「ホメ」と発音したくなるのですが、正しい発音は「ホーム」です。同様に、rain は「ライン」と発音したくなりますが、実際の発音は「レイン」です。また、boat は「ボアト」と発音したくなりますが、実際の発音は「ボウト」です。

 このように、日常よく使われている英単語のスペリングが、ローマ字を知っている人に予測させる発音と、実際にネイティブの英語話者たちが発している音との間に、顕著な不整合が、星の数ほど多く見つかるにもかかわらず、私たち日本人は、何故か、本来なら由々しき問題であるはずの、英語発音の予測不可能性を、ほとんど全く問題にしません。むしろ、大部分の日本人は、能天気にも、「英語は所詮、外国語であって、多くの単語の発音予測が、現実にどれだけ外れても、そんなことは想定の範囲内です。」と言わんばかりに、すっかり、一切を、諦めてかかっています。しかし、世界の多くの言語の中において、この問題を眺めるならば、英語発音の常軌を逸した予測不能性の異様さこそが、くっきりと浮き彫りになります。それは他の言語ではめったに見られない現象であり、いわば、例外中の例外なのです。ということは、日本語の発音の驚くべき整合性、例外を許さない鉄壁のルールは、むしろ自慢してもよいくらいであり、世界の言語の常識から言えば、日本語は正に優等生であり、英語に比べてずっと健全であり、まともなのです。日本語には、英語と同様に、無数の語が存在しますが、一語の例外もなく、平仮名、もしくは片仮名を使うことで、その読み方を、日本語式にではありますが、正確に記述することができます。日本語は、五十音順に語が配列されている国語辞典、もしくは、漢字の読み方が必ず平仮名で示されている漢和辞典を引くことで、日本語の初級学習者でさえ、どんな語、あるいは語句であっても、直ちにそれらを正しく発音することができます。平仮名(あるいは片仮名)は、任意の一語を構成する要素、すなわち、語の一部になり得ると同時に、漢字や外来語や難しい氏名や地名の読み方まで、簡単に表示することができる、極めて便利な発音記号としての機能も持っているからです。そして、実際、辞書や各種の辞典類を始め、パスポート、身分証、各種申請書、処方箋、その他、多くの場面で、人々に漢字の正しい読み方を教える重要で便利な発音記号として使われ、私たちの生活を日々支えています。ところが英語には、そのような便利な符丁は存在しません。

 このように、英語では、table を始め、多くの英語の単語において観察される、スペリングと発音との間の大幅な隔たり、もしくはずれは、表音文字である仮名の開発に成功し、今日、これを毎日縦横に使いこなしている日本語には全く見られないのですが、同じように、ヨーロッパの他の言語、特にラテン系の言語においても、実は、ほとんど見られません。例えば、ドイツ語で「今日は!」に相当する挨拶は Guten tag. で、ローマ字式に「グーテンターク」と発音すれば通じます。気をつけなければならないのは、g の発音くらいです。これは「グ」ではなく「ク」と発音します。では、フランス語はどうでしょうか。フランス語の「今日は!」は Bon jour. で、「ボンジュール」と発音すれば十分通じます。気を付けなければならないのは jour の ou で、読み方は「オウ」ではなく「ウ」もしくは「ウー」です。しかし、残りの部分は全てローマ字式に発音して構いません。ついでに言えば、私の知る限り、フランス語の ou は、例えばoui (「ウイ」と発音し、英語の yes に相当する)のように、いつも「ウ」もしくは「ウー」と強めに発音されます。

 では英語の「今日は!」はどうでしょうか。Guten tag. や Bon jour. に相当する英語は、 Good day. で、発音は、英国式でも、米国式でも、「グッデイ」です。(挨拶として日常的にこの言葉を多用するのはオーストラリア英語で知られるオーストラリア人だけですが、Good day は「良い一日を(祈ります)」という意味を、ドイツ語やフランス語と共有しているので、発音の偏りを調べるのには適しています。)しかし、Good day を敢えてローマ字式に発音すれば、「ゴオードダイ」となります。「グッデイ」とは大きく異なることを確認してください。(参考までに、オーストラリア人は「グダーイ」と発音します。)でも、なぜこんなことになるのでしょうか。

 まず、 day の 発音ですが、day のay は「アイ」ではなく、「エイ」と発音します。他の例を挙げれば、「支払う」の pay は「ペイ」、「言う」の say は「セイ」と発音します。では逆に、「エイ」と発音するのは ay だけでしょうか。もしそうなら、ay は「エイ」と発音する、と覚えておけば、それ以上に問題は複雑化しません。でも、そうではないのです。例えば、aid(=「援助」)の ai も、 they (=「彼ら」)の ey も、 bob-sleigh (=ウインタースポーツの「ボブスレー」)の eigh も、「エイ」と発音します。また、cake の a も「エイ」です。ここまで「エイ」の発音の例が多岐にわたると、発音の原則が見えなくなり、一個の発音をめぐって、何のルールも打ち出せず、制御が利かなくなり、英語発音には多くの気まぐれが、狂おしいまでに蔓延しているとしか思えません。

 次にgood の oo は、ご承知のように、短めに緩く「ウ」と発音しますが、 spoon  の oo は鋭く長めに「ウー」と発音します。 moon もしっかり長めに「ムーン」と発音しますし、 cool も同様に「クール」です。ところが、日本人はコックと呼んでいる「料理人」 の意味を持つ cook の oo は短めの緩い「ウ」と発音し、全体では「クック」が正しい発音です。また、「見る」の意味を持つ lookも「ルック」であり、「足」の foot も「フット」です。しかし、「食べ物」の food は「フード」です。「フッド」ではありません。ところが、「頭巾」の hood は日本語にもなっているフードではなく、「フッド」が現在の英語の正しい発音です。いかがですか。下手な未来予測の不確実性に似た話ですね。それとも、どこか、サイコロ賭博に似ていますか。

 このように、英語の発音は、キツネとタヌキの化かし合いに似て、摩訶不思議であり、どこまで行っても正体が見えません。日本人としては、さすがに、憮然たる思いになります。でも、これらは、ひょっとしたら、英語総体という観点から見ると、例えば、例外も多い英文法に似て、全体的に何となく筋が通っている、ということなのかもしれません。そこで、念のために、別の語に当たってみましょう。「豆」を意味する pea 、「平和」を意味する peace の ea は、ご承知のように、鋭く長めに「イー」と発音しますが、それでは ea はいつでも「イー」と発音するのでしょうか。もしそうなら、話は簡単です。ところが、「頭」を意味する head 、「牧場」を意味するmeadow 、「物差し」を意味する measure 、「皮」を意味する leather 、などの ea は短く緩めに「エ」と発音します。一方、「離れる」という意味の leave や 「指導者」を意味する leader 、「葉っぱ」を意味するleaf、また「読む」を意味する read に含まれる ea は、「イー」と鋭く長く発音します。また、leap は「跳ぶ」という意味の自動詞で、発音は鋭く長い「イー」を含む「リープ」ですが、その過去形と過去分詞は、いずれも leapt で(ただし、米語ではleaped が一般的。発音は「リィープト」もしくは「レプト」。)、発音は「レプト」です。 ここでは ea は短く緩く「エ」と発音します。また、「読む」という意味の動詞 read の現在形は read で、発音は「リード」ですから、そこに含まれる ea は鋭く長い「イー」ですが、その過去形と過去分詞は、形こそ同じread ですが、発音はなぜか短く緩い「エ」を含む「レッド」です。いかがですか。ここでもまた、頭を抱えたくなるような、スペリングと実際の発音との間の、説明しがたい不規則性が露呈しています。

 私たちは、まるで複雑骨折を思わせる、英語のスペリングとその発音の間の、謎に満ちた数々の不整合について、これらを一挙に、総体として説明してくれる、どんな精妙な計算式ーーもしそれがあるとしてーーを思い描くことができるのでしょうか。

 日本の教育の現場で、この問題に関して取られてきた「現実的」な対応策をまず見ておきましょう。日本の中学・高校における英語教育では、日常よく使われる1000~1500くらいの単語を第一段階として、次に3000~5000くらいの単語を第二段階として想定し、そのスペリングと発音と意味を、ひたすら丸暗記させ、高校入試、大学入試の厳しい関門を潜り抜けさせようとします。これは、全国の、選ばれた受験秀才には、なんら問題のない方法かもしれません。彼らは学校や塾の教師に、入試を突破するまでの、わずか数年の辛抱だと、呪文のように言い聞かせられ、膨大な数の単語の意味と発音を暗記します。しかし、平均的な日本人の場合を考えるとどうなるでしょうか。例えば、海外で売られているベストセラーの一冊をたまたま読んでいて、知らない単語がいくつも出てきたら、彼らはどうするのでしょうか。スペリング通りに発音すると危ないと知りつつ、あてずっぽうに発音をするかもしれません。何しろ、発音の伴わない語はあり得ないからです。かといって、当てずっぽうでは、英語の発音を正しく覚えることはできません。見知らぬ単語を、いつも当てずっぽうの我流発音で覚える悪い癖がついたら結果は悲惨です。それは、教育上、許容しがたい事態です。日本の英語教育には大きな欠陥があることを天下に露呈することになりかねません。単語を覚えれば覚えるほど、学んだはずの英語が海外では通じにくくなるとしたら、これは絶対に避けられねばならない事態です。思うだに、背筋が凍る悪夢です。

 では、この事態を避けるにはどうすればよいのでしょうか。私たちに必要なのは、前途有為の若者が、英語の発音に正面から取り組み、堂々と正攻法でマスターする方法です。私の知る限り、無数の地雷の仕掛けられた戦場にも似た、英語発音の無法地帯を、無傷で、安全に、走り抜ける方法が、たった一つあります。それは、発音記号を用い、合理的、実践的に、英語の発音を教える方法です。これは、私が、自分の責任において、普通、日本の学校では絶対そうしないことを承知しながら、これまで敢えて採用してきた教育手段です。学生諸君は、ほぼ例外なく携行が求められる英和辞典には、必ず発音記号が使われていて、それぞれの記号に対応する発音を個別にきちんと習得しさえすればどんな語でも正確に発音できることを知っています。私はここに目を付けたのです。では、私は、一体どんなふうに教えたのでしょうか。実際の授業風景を再現してみましょう。

 私は、具体的な単語を例に出して、自分で発音してみせ、その発音を各自、自分の耳で聞いてもらいます。悪びれることもなく、自信をもって自分の発音を聞かせる教師は、学校にも自分の周囲にも、一人もいないので、彼らは最初、あっけにとられ、びっくりしますが、同時に、興味津々で聞いています。やがて、彼らの短い「試し聞き」の時間が経過すると、私の発音が、意外にも、正確であるとの認識が、天から授かった自分の聴覚を通じて、心の奥深くまで、浸透していきます。次に私は、その単語に含まれる難しい発音を個別に取り出し、それに対応する発音記号を板書します。その記号が表す音の特色を続いて説明し、その音を出す方法を具体的に教えます。次いで、銘々、自分でその音を出してもらいます。その後、私は、各自、できるだけ多くの時間を割いて、帰宅後も、英語の発音の練習に励むことを勧めます。

 彼らは総じて熱心に学びました。破裂音の実演を交えた練習では、クラス全体が爆笑して笑い転げる場面がありました。クラスの全体が爆笑したのは、何だそんな風にすれば正しい/p/の音が出せるのか、という新しい発見の意外さと、自分にもその音が出せるかもしれない、いや出せそうだ、という健全な期待感と、抑えようもなく内部に膨れ上がる強烈な意欲が、一度に各自を襲ったときの自然な反応なのです。そしてこれこそが、起死回生の奇跡なのです。では、なぜ、これだけのことが一瞬で起こったのかと言えば、彼らが、真剣に、虚心坦懐に、正しい発音を、正しく聞き、それが正しい発音だと確信した瞬間、今度は、自分が正しく発音し、それを徹底反復すれば、やがて必ず、自分も、正しい発音ができる、ということを、100%ポジティブに受け止め、各自の身体的直感が、理屈を超えて、正しく理解したからです

 でも、発音練習の実際の効果が一人一人の「心身」に「命」となって定着するまでには、一定の時間がかかります。長い練習期間が必要なのです。長期にわたるフォロー・スルーを組み込んだ授業システムが別途必要なのです。英語リーディングは、単に英語を黙読するだけでなく、音読を前提としています。実際には、徹底したリーディング(=音読)指導が求められるのです。

   英語発音の難しさ:その2.英語には日本語にない発音が沢山ある

 ところで、英語発音の難しさは、スペリング通りに発音しても必ずしも正しい発音にはならない、ということに留まりません。すでに述べたように、もう一つ大きな問題があります。それは、英語には日本語にない音がいくつも存在する、ということです。これは日本人にとって、そんな馬鹿な、と開いた口が塞がらないような、克服不可能としか思えないほどの深刻な問題です。発音の学びに苦労したことのある多くの方が、すでにご存じのように、例えば、l とr 、 s とsh と th、b とv 、f とh などの子音の区別は、日本語には元々微塵も存在しません。これは、英語学習の観点から見るとき、一体、何を意味するのでしょうか。これは、それらの音が、ネイティブの人たちと同じようにきれいに区別して発音できるようになるまで、英語の発音の仕方を、一から徹底的に学び、口がだるくなるまで、毎日何時間も、繰り返し練習しない限り、決して正しく発音することはできない、ということを意味しています。一方、教える側に立てば、これらの区別を一通り初心者に教えるだけでも、実は何日もかかります。また、教え方の一例としては、right -light,  sign- shine,  sick-thick,  see-she,  berry--very,  find-hind などをペアーで発音する練習などがあります。学習者はこれらを区別して発音することができるようにならなければなりません。また聞いて差異が分かるようになる必要もあります。そのためには、基本的な口慣らしと耳慣らしを、毎日一定時間、ノルマとして、厳しく行わなければなりません。

 ところで、英語の発音の難しさは、子音の発音の難しさに留まりません。母音にも及ぶからです。そもそも、英語のほとんどの単語は、26個あるアルファベットのうちの、1個から十数個の異なる組み合わせで出来ているのですが、例えばアルファベットの a で表される母音の場合、この母音を前後に取り巻く異なるアルファベットの組み合わせによって、 a の音が何通りにも変化します。日本人の場合、母音は「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の五つと決まっているので、「ア」が四通りに変化すると聞かされると、唖然とし、眩暈を感じます。例えば、中央に a を持つ四つの語 cat,  cake,  call,  car を見て下さい。この四語においては、発音されたときの a の音は、お互いに他と全く異なります。

 しかし、それを確かめる前に、これらの四語に共通する音韻構造を確認しておきましょう。これらの四語はいずれも「子音+母音+子音」という構造を持っています。次に相違点がどこにあるかを見てみましょう。相違点は四語を区別する要素として、異なる子音が使われているということです。上記の四つの語の場合、それぞれ、互いに異なるアルファベットが、母音 a の前後を取り囲むことで、四つの異なる語が形成されていますが、互いに異なるそれらのアルファベットの組み合わせは、 a をあんこのように中央に挟みながら、四つの異なる単語を構成する、弁別的子音群を提供していることが見て取れます。このように、互いに異なる子音が同一の母音をはさんで、四つの単語の弁別要素として働くのは、地球上の全ての言語のメカニズムにとって、おそらく当然のことです。しかし、英語の場合、特殊と言えるのは、同一の母音を表すはずのアルファベット a の発音が、この四語間で、なぜか四通りに異なるということです。この四語をカタカナで表記すると、「キャット」、「ケイク」、「コール」、「カー」となります。母音の a に対応する発音だけを抜き出すと、「ヤッ」、「エイ」、「オー」、「アー」と四通りになることが確認されます。ここから分かることは、英語のアルファベット a の音は、前後の子音の組み合わせが機縁となって、自らも四通りの異なる発音に変化する、ということです。したがって、英語を学ぶものが、予知的に、これらをすべて正しく発音できるためには、子音の特定の組み合わせと、母音 a の特定の発音との間に存在する、四通りの関係方程式を、予め知っておかなければならないということになります。

 C.  オーストラリア式英語発音教育

 実は英語圏では、小学1年生に文字の読み方を教える際、単語のスペリングとそれに対応する発音を、歴史的経緯を組み込んだある種の方程式を使って、原理的かつ組織的に、教える教育手法が採用されています。英語ではそれを phonics と言います。一方、発音一般を専門に研究する学問は別個に存在し、それには「音声学( phonetics )」という名称がついています。ところで、 phonics は日本ではフォニックスと片仮名で表記され、これが一般的呼称となっています。正式な日本語訳は、私の知る限り、まだ存在していません。日本の代表的な英和大辞典を見ると、phonics は「初歩的な英語の綴り字と発音との関係を教える教科」(研究社の「新英和大辞典第五版」より)と説明されています。

 では、英語圏でなぜフォニックスが教科になっているかというと、前節でも見たように、英語ではスペリングと発音の関係が一定ではなく、一見、不規則そのものに見えるからです。すでに検証した事例の他にも、例えば、book は「ブック」と発音しなければなりません。「ボーク」ではありません。また、 time は「ティメ」ではなく「タイム」と発音することは誰でも知っています。同じく、school は「スチョール」と発音していては全く通じません。英語圏の小学生たちが新聞やエッセイを読んで見慣れない単語に出会ったとき、もしスペリング通りにしか発音できなければ、英語の読み書きができなくなることは目に見えており、これは一大事です。そこで、英国の過去の歴史において、どんな予期せぬ不幸な事態が発生し、その結果、英語ががいかなる言語的損傷を被ったにせよ、結果として、スペリングと発音の関係が複雑にゆがんだことを、不幸な特殊事例として認め、その上で、多くの不規則性の集合の中に潜む、隠れた驚きの規則性をあぶりだすことに成功しました。教師や研究者が大いに努力をした結果です。こうして、英語の特異なスペリングと、特異な発音との間の、十分密接な、しかし秘密の、関係を暴き、それを法則化することで、彼らは、英語独特のスペリング特性から正しい発音を導き出すことのできる、実践的な英語発音教育法を彼らは編み出したのです。

 私はこれまで、フォニックスの存在をある程度知っていましたが、それを詳しく調べたり学んだりしたことはありませんでした。ただ、自分流にではありますが、発音記号に頼る発音学習の無味乾燥から逃れるため、密かにスペリングから発音を予測する、一種のゲームを楽しんでいました。それは次のようなことをするゲームです。自分の知らない単語に出会うたびに、その単語の発音を辞書で確かめる前に、その単語のスペリングのちょっとした特徴から、その発音を推測するのです。最初の一年目は、正答率は極めて低かったのですが、二年、三年と、同じことを繰り返し、ゲームにある程度慣れてくると、このアルファベットの組み合わせだと、発音はきっとこうなるはず、という法則の存在が見えてくるようになりました。例えば、night, light, right, sight, fight はいずれも、子音+ 母音+ght 、という基音構造を持ち、終わりに、ight という共通のスペリング集合を持っています。ight の発音は「アイト」です。これらにおいて、gh は発音しませんが、この子音集合が現れると、i の発音は「イ」ではなく、「アイ」となることが暗黙の規則として働いていることが分かります。例えば、sigh は t を欠いていますが、発音は「サイ」です。つまり、 i は「アイ」と発音するのです。同様に、high も「ハイ」と発音します。したがって、 i はここでも「アイ」と発音します。i は勿論、fit, kid, pink, window, listen, hip などでは、すべて「イ」と発音します。ですから、どのようなスペリング環境のときに i が「アイ」と発音されるかは、そこに法則性が見出され鵜限り、フォニックスの研究テーマになるのです。

 例えば、line, fine, dine, mine, nine, pine  という一連の語群を見て下さい。ここでは、i は「アイ」と発音されます。そして、ine というスペリング集合は「アイン」と発音されます。注目すべきは、子音+母音+子音+e という基音構造です。ちょうどgh が発音はされなくとも、直前の i の発音に影響を与えたように、語の最後に e が存在することによって、それ自体は発音されませんが、これらの語の最後の子音の一つ前の母音、 i に影響を与え、これを「イ」ではなく「アイ」と発音させる因子として働くのです。実はこれと同じ原理がもう一つの母音 a をi の代わりに持つ次の語群においても働いていることが分かります。それらは、hate, late, mate, fate, gate です。ここでも、発音されない e の存在が、直前の母音 a の発音を「ア」から「エイ」に変えます。すなわち、ate の発音を「アット」でも「アテ」でもなく、「エイト」に変えるのです。でも、実際には e が最後の子音の後ろについている場合、前の母音の発音を変えるという規則はもっと広く適用されています。i が「アイ」と発音される例を幅広く収集してみましょう。例えば、knife, life, nice, rice, price, westernize, recognize, ripe, pipe, rise, size, site, cite, fire, quite, spite  などがすぐ思い浮かびます。

 英語には不思議な子音集合が多く存在しますが、それらはしばしば発音にも見えない影響を与えています。例えば、ll という子音集合を見てみましょう。ball, hall, tall, fall, gall, call, mall はいずれも a+ll というスペリング集合を特色としています。そしてこのスペリング集合の発音は「オール」です。他にも、a+lk で talk、a+ld で bald という子音集合の場合、それぞれ、発音は「オーク」と「オールド」であり、a はいずれの場合も、「ア」ではなく、「オー」であることを特色としています。他にも、注意しなければならない子音集合としては、kn, qu, ph があります。kn は/n/ と発音します。例としては、knife, know, knaw, knot などがあります。qu は/kw/ と発音します。例としては、question, queen, quite, quiet, quest, quote などがあります。また、ph は/f/ と発音します。例としては、photogragh, telephone, phonetic, phonogragh, iphone, philosophy, physical, physics などがあります。これらの子音集合は、それ自体が発音記号だと思って覚えればよいのです。なぜなら、これらの子音集合には、それぞれ一個の読み方しか存在しないからです。平仮名を覚えるような調子で覚えるとよいのです。

 このように、「これこれの場合には…と発音する」という一対一の対応ルールを見つけ、それらを組織化して教程化したものがフォニックスなのです。

 冒頭で述べましたように、たまたま、弊社の提供する授業の中に、オーストラリア人講師による英会話コースがあり、ネイティブの講師から初級の英語を学びたいという受講要望があったので、その講師を紹介したところ、初級の会話を練習する前に、単語の読み方を学ぶ必要があるだろうということで、オーストラリア式の発音教育がその受講者に実施されるのを、たまたま参観させていただく機会がありました。大変参考になったので、ここで紹介しておきたいと思い、このブログを書き始めました。日本における英語発音教育は事実上何もなされていない、という認識のもと、私の考える方法をご紹介しましたが、もう一つの可能性としてのフォニックスの考え方の概要は、以上の説明でお分かりいただけたことと思います。今まで発音に興味を持たなかったけれど、このブログを読んで一から学びなおしてみたい、と思われた方は「お問い合わせ」からご連絡ください。すぐれたネイティブの講師から英語の発音をもう一度学びなおす良い機会です。

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