英語上達の三段階
2024/02/03
英語上達の三段階
英語の初心者と中級者と上級者の段階別学習法
初めに
私はこれまで、日本人が英語を学ぶ際にどうしても気を付けてほしいこと、安易に放置しておくと必ずや躓きの石となるであろうことに的を絞ってブログを書いてきました。ブログのテーマは、英語の発音、文法、語彙の各分野をカバーし、切り口も多岐にわたります。ただし、それらは、日本の学校ではほとんどまともに取り上げられなかったり、大学受験にもあまり影響しないテーマでした。しかしそれでも、いやむしろ、それだからこそ、英語の上達を心から望む方で、日本の英語教育にどこか根底的な欠陥、もしくは頼りなさ、を実感している方たちに、是非とも読んでいただきたかったのです。もちろん、弊社のオンライン英語講座を受講していただければ、それらの重要性に見合った合理的な説明、実践的な練習問題、徹底した訓練を含めて、個別に対応させていただきます。ただ、単刀直入に英語で質問し、自分の意見や感情を英語で人に伝えるにあたって絶対に必要な諸規則、特定の構文や言い回し、冠詞や前置詞の正しい使い方、代名詞や人称代名詞の使い分け、時制に対応する動詞の語形変化、正しい語順、数千の基本語彙、類義語の使い分けなど、大抵は、例文付きの解説が必要な事項、また実践的な英語力の向上に欠かせない、きっぱりとした正しい発音については、信頼に足る情報が、求めに応じて、遅滞なく学習者に届けられる必要があります。そしてそれこそ、私がこれまでブログを書き続けてきた理由でもあります。
さて今回は、私がこれまで、一体どんな話題を取り上げてきたのかを、具体例を通して、皆さんと一緒に振り返っておきましょう。それらをきちんとマスターすることが、英語学習の進展にとっていかに根本的に重要であるかを、まず肌で感じていただき、その上で、まじめに、そして本気で、英語の上達を目指しておられる方々が取り組むべき諸課題の全貌に目を向け、表題に掲げた「英語上達の三段階」というテーマで、目標達成のイメージ図を構想し、皆様の参考に供したいと思います。
1.日本人を翻弄する英語の個別的問題点
a. 二重母音と長母音の区別について
日本人は二重母音と長母音の区別が不得意です。でも、それがどうしたの、と思っている方がきっと沢山いらっしゃいます。そこで、二重母音と長母音の区別がどうしても必要な訳をまず理解していただく必要があります。でも、それには、発音の話をしておかなくてはなりません。英語の発音がどのような意味を持っているか、深く考えたことがない方が多いかもしれません。でも英語の上達には英語の文法の理解と共に、英語の発音に上達することが欠かせません。それがなぜかをまず論じておきましょう。
英語は生きた言語のひとつであり、それをマスターしようとすれば、実際に英語が使われている現場で、生の英語に接するのが近道です。でも、それが難しい場合はどうするのでしょうか。そのときは、英語が実際にどのようにコミュニケーションの手段として機能するのかを知った上で、英語学習の最終目標をネイティブの英語話者の英語力に近づけることに置き、そこから逆算して設定された幾つもの目標に向かって、時間を惜しまず努力を重ねるほかありません。しかしそれには、英語ネイティブたちがどのように互いの意思を疎通させているのか、その実態を知っておく必要があります。この問いに答えることは比較的簡単です。何故ならどの言語も、コミュニケーションに使われる生きた言語である限り、自身の膨大な語彙の中から特定の語句がその都度選ばれ、何らかのメッセージをやり取りするために使われるからです。つまり、話者によって選ばれた特定の単語や慣用句たちが、ある順番で出現し、文法に言う句や節を形成し、一つの文を構成すること(=特定言語に内在する特定の文法の存在)がよく知られています。さて、このようにして形成された文は、通常、複数の単語(words)から成り、文意を整えるべく、句や節などの塊を途中で形成しつつ、全体として、一つのメッセージ(one message)を担います。こうして、複数の単語を従えた文は、目(視覚)に訴える文字(letters)、もしくは耳(聴覚)に訴える発話(uttered speech)を介して、伝えたいことを他の人に伝えることができます。言い換えれば、特定の単語が特定の順番で並ぶ「文」という形をとった言語的発信が、その言語を知る人に届いた瞬間、直ちに解読され、発話者(または文の書き手)が伝えたかった意図、すなわちメッセージが、その人に伝わります。
つまり、個人の発するメッセージは、文法上の機能と特定の意味を担った単語の特定の配列として、暗号化される。こうして生成されたものが文であり、言語的暗号を解く鍵、すなわち文法、に長けた者によって解読され、その文に託されてたメッセージが、文の受信者に伝わるのです。そして、文を構成する最小単位は単語です。
では、発音も意味も文法的機能も、互いに他と異なる個々の単語は、どのようにして、一瞬のうちに他と区別されるのでしょうか。それは第一に、書かれた文字である英単語は、アルファベットの特別な組み合わせが、特別な順番で並べられたものです。第二に、発話された英単語は、母音および子音から成る音が特別な順番で並べられたものです。前者の場合は視覚的に、後者の場合は聴覚的に、認知されます。第三に、個々の単語が他から区別されるためには、単純明快なスペリングの確立、並びに、母音と子音の明確な組み合わせが、それぞれ確保されていなければなりません。
さてその上で、私は多くの日本人の英語学習者が気づいていない、あるいは99.9%の日本人が気付けない、英語発音の一例として、長母音と二重母音の区別を取り上げました。それは、どのような区別なのでしょうか。また、どうして、日本人にとっては、特別の注意が必要なのでしょうか。
説明のためのサンプルとして、ナイフやフォークのフォークと、フォークソングのフォークを比較検討してみましょう。日本人はどちらのフォークのこともよく知っており、意味の違いもよく承知しています。両者は、辞書で確かめれば明らかなように、異なるスペリング(fork とfolk) を持っています。問題は両者の発音上の区別です。ナイフとフォークの フォーク(fork )には長母音が、フォークソングのフォーク(folk) には二重母音が、それぞれ充てられることで、両者は区別されています。英語の母語話者たちは、赤ん坊の時から英語を学びますが、彼らの無数の学習対象の中に、当然、英語の発音も含まれています。彼らは個々の単語の発音の違いについても、徹底的に叩き込まれますから、例え寝言でも、forkとfolk の発音を間違えることはありません。しかし日本語には、残念ながら長母音と二重母音の明確な区別は存在しません。結果的に、この区別は日本人にとって学習上の死角となっています。そして、残念ながら、この死角を助長しているのが、 fork も folk もどちらも日本語では「フォーク」という同一の片仮名表記がなされていることです。この表記は、発音の区別が存在しないかのように見せる効果があります。日本人を油断させ、英語では両者の発音が区別されている事実に気づきにくくさせています。ですから、「fork とfolk は発音が全然違うのを知っていました?」と日本人に尋ねると、たいていの人が「ええ?何のことですか?」と、きょとんとしてしまいます。私の説明を聞いても、「でもこれって、例外でしょう?例外なら、目をつぶれば済むことじゃありませんか?」などと、私に食って掛かるはずです。
でも、これはたった一つの例外などではありません。その証拠に、テニスコートのコートと上着のコートを見てみましょう。日本語ではどちらも「コート」と片仮名標記しますが、まず、意味の違いは説明するまでもありません。そしてスペリングも、テニスコートのコートは court 、上着のコートは coat と、明確に綴り分けます。そして発音も、 court には長母音を、coat には二重母音を充てることでしっかり区別されています。まだ釈然としない、とおっしゃる方は low (=「低い」) と law (=「法律」)、row (=「漕ぐ」)と raw (=「生の」)、load (=重荷)とlord (=領主)の三つの例をご覧ください。これらの例では、前者が二重母音( /ou/ )、後者が 長母音( /ɔ:/ )を含むことで、互いに区別されています。
ここまでくれば、どなたでも、英語に実装されている長母音と二重母音の発音の区別を疑うことはできなくなるはずです。そして、英語中級以上の方ならとっくにご存じの通り、英語の語彙の中には無数の長母音と無数の二重母音が存在します。もしも日本人がそれらを正しく聞き分けることも、正しく発音することもできないとしたら、日本人の英語学習にかなり深刻な悪影響が及ぶはずです。
まだ事の重大性が感じられない、とおっしゃる方は、次の事例をご覧ください。まず、本のページ(page )は「ページ」と表記され、この発音が一般化していますが、正しい発音はペイジ(/peiʤ/ )です。きちんと二重母音(/ei/)で発音しなければ、ネイティブの英語話者には通じにくいのです。また、ケーキ(cake )も日本語だと「ケーキ」と発音されますが、これも正しい英語は、むしろ、ケイク( /keik/) であり、正しい二重母音(/ei/)で発音することが、絶対お勧めです。さらに、ビーフステーキ(beefsteak )は、日本語では「ビーフステーキ」もしくは「ビフテキ」と言いますが、正しい英語の発音はビーフステイク( /bi:fsteik/) です。さらに、犠牲の山羊も日本語では「スケープゴート」で通じますが、英語では「スケイプゴウト」(/skeipgout/)と発音しなけれなりません。それから、一国の指導者が「声明」を発表するとき、「ステートメント」(statement)を発表するとも言いますが、英語ではステイトメント(/steitmənt/)と発音しなければなりません。また、「空間」や「宇宙」のことを日本語ではよく「スペース」(space)と言いますが、英語ではスぺイス(/speis/)と発音しなければなりません。あるいはまた、トランプをするとき「スペード」(spade)の「エース」(ace)などと言いますが、それを英語で言うときはスペイド(/speid/)のエイス(/eis/)と発音しなければなりません。いかがですか。もう切りがありませんね。しかし、なぜこんなことになるのでしょうか。
それは、日本語には、まるで一卵性双生児のように、一音の中に、二つの異なる母音が含まれる「二重母音」(diphthong)というものが、ただの一つも存在しないからです。その結果、日本人は、いわば、母語である日本語自体の限界によって、英語に存在する長母音と二重母音の音声的弁別の実態に気づけないのです。したがって、まずはこの事実を事実として、謙虚に、そして厳粛に、受け止めるほかないのです。その上で、私たちにできることと言えば、この区別の重要性を、言語学習論的に、きちんと正しく理解するとともに、この区別を正確に聞き分け、正確に発音することができるように、意識的な練習を通じて、「英語発音の土台」を構築することです。
日本語に存在しない英語の音は、実はまだ他にもたくさんあります。ですから、それらも併せて訓練する方法を確立することが大切です。それは、日本における健全な英語教育にとって、死活的に重要であり、それゆえに、私たちが本腰を入れて取り組まねばならない課題なのです。
(他方、長母音は日本語にも存在します。例えば、「校長」は「コーチョー」と発音し、「誇張」は「コチョー」と発音します。同様に「効果」は「コーカ」と発音し、「古歌」は「コカ」と発音します。つまり、「校」や「効」は「コ」ではなく、「コ」をそのまま倍の長さに伸ばして二音に数える「コー」という音を当てる、という意味での長母音は確かに存在しますが、英語の場合のように、異なる母音が一音の中に継起する、という意味での二重母音は存在しません。日本語においても、「層」(「ソー」)と「沿う」(「ソウ」)の間には確かに発音の区別があります。前者は短母音の「ソ」を二音に伸ばした長母音であり、後者は「そ・う」と異なる二音を継起させます。「沿う」の発音は、同じ音価を持った異なる単音、すなわち、「そ」と「う」、の連続体で構成されています。ですから日本人は「そ」+「う」(=2音)と認識します。一方、英語では、二重母音はすべて複合的単音と認識されます。ですから、例えば、詩行における音節の数の勘定でも、二重母音=1音と見なされるのです。)
b. 曖昧母音について
そのような観点から、私が注意を喚起したもう一つの重要な発音上のポイントは曖昧母音でした。日本人にとって、英語の母音の中で二重母音以上に難しく、厄介に感じられるのが、曖昧母音です。では、曖昧母音はどこがどのように曖昧なのでしょうか。曖昧母音はざっくり言えば、「ア」と「ウ」の中間の音です。より正確に言えば、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」のいずれからも等距離にある、まさに「曖昧な」音です。このような「訳の分からない音」は日本語には存在しません。そのような母音の存在を許すと、日本語は確実に乱れるからです。しかし、不思議なことに、曖昧母音は英語では一人前の扱いを受けています。そしてそれには、英語特有の事情があるのです。
曖昧母音が英語に生まれたのは、英語が、古英語を母語とする英国人の祖先、アングロ・サクソン人から引き継いだ強勢(stress)アクセントに原因があると考えられます。これは、強勢アクセントの置かれる音節と、それが置かれない他の音節との間に、発音上の格差が生じたことに起因するということです。こうして多くの多音節語は強勢の置かれる音節と、強勢の置かれない音節の区別を生みました。こうしてできたのが、元から曖昧母音を一個以上含む単語、例えば about, summer, happen, natural, appearance など、無数の事例が明らかにしているように、曖昧な音は強勢の来ない音が、強勢の置かれる音節の反動として、思い切り弱く、かつ曖昧に発音されるようになったことに起因しているのです。日本人はまずこのことをしっかり学ぶ必要があります。そして、日本語の五つの母音のいずれにも属さない、曖昧な母音の発音練習をします。
さて、その上で、もう一つ注意したいのは、元来は曖昧でない普通の母音から成る単語が、文の中で弱音化の作用を受けると、その語の母音が曖昧化することがあることです。例えば、Yes, I can do it. (=「はい、私、それできます。」)という文を見てみますと、 can や it は、単体ではそれぞれ、 /kæn/ と /it/ であり、そこに含まれる母音は曖昧ではありませんが、文の中でそれらを発音するときは、can は/kən/、it は /ət/ と弱く発音されます。何故なら、Yes, I can do it. を文として自然に発音すれば、 yes, I, do の三語にアクセントを置いて「話す」のが一番自然に感じられるからです。そして、その自然な音の流れの中で、 can と it は明らかに弱く発音されます。これが英語特有のイントネーションの法則なのです。こうして、相対的に弱体化した母音は、自動的に曖昧化させられます。
c. 音節の重要性
他にも発音に関して注目したところがあります。それは、英語における音節の重要性です。英詩の韻律法も音節を基本として組み立てられています。ですから、音節の数え方を説明しました。子音は単独でも、重なっても、音節としてはゼロであり、母音は全て一音と数え、ついでに、二重母音、三重母音も一音と勘定する、というルールを覚えることの重要性を強調しました。「子音は母音ではない」という、英語ではごく当たり前のことを覚えるだけでも、英語の学習は格段に進歩します。例えば、発条(ばね)のことを英語では spring といいます。スプリングボードのスプリングです。また、spring には「春」とか「泉」という意味で使われることもよくあります。ですから日本人にとっても、覚えていて決して損はない単語の一つですが、困ったことに、発音は結構難しいのです。何故なら、s, p, r および n, g という、二つの子音連続体に前後を挟まれた状態で、i という母音が一個だけ存在しているからです。これがなぜ難しいかといえば、まず、子音を単体として発音したことが一度もない日本人が、二つ以上のまとまった子音を、子音連続体として発音することは極めて難しく、日本語を話している限り、そのような事例に遭遇することはあり得ないからです。まして、前後を合計五個の子音に囲まれた一個の母音、という音構成は、日本語には絶対にあり得ません。では、ここで皆さんに質問をします。「spring という単語の音節は何個でしょうか?」先ほどの音節を勘定するときの規則を当てはめてみましょう。すると、子音の数は5個ですが、母音ではないので音節に数えることはできません。一方、母音は i のみです。すなわち一個です。すると、この語の音節の数は1です。これが正解です。spring を日本語で表記すれば5文字(スプリング)を要しますが、従って五音と数えたくなりますが、この語の母音は一個しかありません。これを「視覚的に」しっかりと目に焼き付けた上で、この語の発音に向かいます。s, p, r と順番に発音することができますか?次に i を発音します。最後に n, g を発音shます。このように、日本人が spring を発音するには、真ん中に i という母音を含む単音節語だとまず認識し、この母音を前後から取り囲む各子音を、単体子音として次々に滑らかに発音する練習をし、最後に中央の i を挟む一連の子音たちを、全体として一挙に発音する練習をします。これがしっかりできるようになったら、あなたは自信をもって spring を発音し、正確にネイティブに伝えることができます。
d. 連続性子音について
日本人は子音を単体で発音する練習をしなければ、英語の発音はおぼつないでしょう。その際、私が連続性子音と呼ぶある種の子音をマスターすることは極めて重要です。では、連続性子音とはどんなものでしょか。例えば、p, b, t, d, g, k など、唇や歯や喉などに息をため、それを一気に破裂させることで得られる一回性の破裂音は、出ると同時に音が消えます。破裂音は連続させることはできないのです。したがって、破裂音は非連続性の子音です。これに対して、m や n 、また z の音は連続性子音です。なぜなら、 m や n、また z の音は、発音する際、自分の息の続く限り、コンスタントに、同じ音を出し続けることができるからです。これらの区別を解説した後、連続性子音の中で、日本人にとって特に発音することが難しいとされる l とr 、f とv 、 s とsh 、または th の音はどうして出すのかを分かりやすく解説し、その延長線上で、measure と major の二つの語の発音の決定的な違いを解説しました。そして、破裂性子音の d を含むか含まないかによって、スペリングのみならず発音までも、明確に区別されることを指摘・説明しました。
e. 英語母音の摩訶不思議さ
ところで、英語の発音の難しさの原因は他にもあります。そしてとくに日本人にとって厄介なのは、日本語の「ア」に相当する英語の母音が五種類に区別されて、毎日使われていることです。他にも、二種類の「イ」、同じく二種類の「ウ」が、英語では、同様に明確に区別されます。これらのの驚くべき実情を豊富な例によって詳しく解説し、それらの発音の仕方を丁寧に説明しました。
f. 日本人学習者を翻弄する英語の文法や語彙について
それから、文法面では、「動詞の原形+ing 」という外形を共有する現在分詞と動名詞の文中での見分け方を論じ、完了形が可能にした時間的視野の拡張を「have +過去分詞」というお決まりの構造との関係において解説しました。また、would, could, should, might など、助動詞の過去形を使うことで、架空の話や仮想の世界に遊ぶことができたり、角の立たない婉曲な言い方ができたりする仮定法について、幾つも例を挙げて解説しました。それから、冠詞が名詞との関係において果たす重要なコミュニケーション機能を、定冠詞、不定冠詞( a と an)、無冠詞という四択の原理として解説しました。また、極めて頻繁に使われる多くの前置詞が、名詞と結びついて(前置詞+名詞)形成される前置詞句となり、形容詞句または副詞句として、文中で縦横無尽の働きをすることを確認しました。
さらに、日本語には類を見ない独立性と抽象性を与えられ、格変化において驚嘆すべき整合性を発揮する代名詞(人称代名詞、指示代名詞、関係代名詞、it の特別用法)が英語においていかに重要な働きをするかに触れました。他方、学校では取り上げられないテーマとして、ギリシャ語・ラテン語由来の無数の接頭辞及び接尾辞が果たす、意味および品詞の、即時的変換機能の重要性を論じ、一般的に、英語の語彙に精通し、英語特有の感覚(語感)を養うためには、英和辞典よりも英英辞書を使う方がはるかに効果だと説きました。
これらはすべて、日本人がきちんと計画を立て、本格的に英語を学ぶ際にいずれは避けて通れなくなる重要学習事項です。英語を学んでいく過程でこれらを順次攻略し、自分の知識の一部として完全に身に付けていけば、人は着々と英語力を向上させることができます。日本の学校では高校や大学の受験を控えて、英文法はかなり手厚く教えますが、発音や語彙についてはそれほど熱心ではありません。そこで、足りないところを補うという意味で、例えば発音については、日本語にないいくつかの発音について、発音記号の使用を控えることなく、それらの音の特色を解説しました。しかしそれで問題が解決するわけではありません。日本人にとって英語の音節は理解のしようがありません。日本語には音節という概念は存在せず、子音と母音の区別もありません。あるのは「あいうえお」で始まる五十音図のみです。この五十音は、日本語にとって、音の単位であると同時に、文字の単位です。さらに困ったことに、「伸縮自在の音節」と私が仮に呼んでいる事柄が日本語には存在せず、また、「多音節語に自動的に宿る強勢アクセント」も日本語には存在しません。したがって、その両者(音節と強勢アクセント)が相乗的に働いて生み出されるイントネーションも、当然、日本語には存在しません。ただし、日本語でも特に強調したいときには、「あれ、変だなー」という具合に「な」を伸ばして発音生したり、「おやー」と「や」を伸ばしたりするようなことはあります。しかし英語のイントネーションはごく普通にしゃべっていても、常に発生するのであって、強調とは無関係な存在です。次に、語彙については、語彙の学習に積極的に取り組んでいただくために、クイズ風に、意味の区別がつかない似たような語を挙げて、その正しい使い分けを解説しました。例えば、「集める」という共通の訳語を持つ言葉 assemble と gather と collect が、それぞれ異なるコンテクスト(文脈)を要求することを解説しました。同様に、「自由」という共通の訳語を持つ liberty とfreedom のニュアンスの違いや使い分けを論じました。また、ある状況下である特定のことが起こる「可能性」と「蓋然性」との違いを、 possibility と probability で明瞭に使い分けることができることを説明しました。加えて feasibility (実現可能性)や viability (生存可能性)にも言及しました。これらをブログのテーマとして取り上げたのは、英語の語彙の精妙さを感じていただき、「興味津々に」個々の語を学んでもらいたかったからです。英語の語彙には目からウロコの発見が至る所に潜んでいます。
g. 英語の習熟度に着目した包括的な英語学習支援策
しかし、このように英語の発音、文法、語彙の三分野にわたって、カギとなる様々なテーマについて書き続け、さすがにもう書くべきことはなさそうだと思い始めたころ、逆に、いやいや、本当に大切なことはまだ書けていないのではないか、という疑念が湧いてきました。そして、その疑念の正体が最近になって判明しました。書くべきだったのは統合的で包括的な英語の学習支援策でした。でもそれは何であり、なぜ必要だったのでしょうか。
それは、個々の特定の話題に向かうかわりに、関連性の深いいくつかの学習目標を一望しながら、英語学習の全行程を視野に収め、習熟度別に継続性を維持しつつ学習を支援をすることです。それは譬えてみれば、マラソンランナーに指示を与えるコーチに似ています。英語学習者に求められるのは、知的で戦略的なペース配分を前提とする継続的な努力です。英語学習をマラソンに譬えるなら、英語学習者という長距離走者は、英語知識ゼロの地点を出発した後、ベーシックな初級レベルコースを走っていきます。そこを走り終えると、次に中級レベルコースの曲がりくねった坂道を幾つも上っては下ります。最後に、高度な運用能力の獲得を目指す上級レベルコースを走ります。ベテランのコーチは、その間、それぞれの特色あるコースの要所要所で、ランナーに適切な言葉をかけます。つまり、英語学習者という長距離ランナーが、途中で諦めることなく、また脇道にそれることもなく、難所の多いコースを無事にゴールまで走れるよう、それぞれに地点に相応しい、的確なアドバイスを与え続けることは、講座を提供する私たちとして、何よりも大切なことなのです。
一方、英語学習者の立場に立ったとき、自分が長期的な学習の展望を持つことには、どんなメリットがあるのでしょうか。まず第一に、抜群に学習効率を上げることができることです。なぜなら、学習開始時点で自分が将来到達すべき最終目標をしっかりイメージできれば、そして行程表が完成していれば、どのような英語力をどの地点で獲得することができるかを前もって知ることができ、強いモーティベーションを失うことなく、最後まで自己実現の努力を継続することができるからです。もし、「英語学習の成果=学習事項 ×学習時間 × 正しい学習」という公式を、学習の全項目と共に、ひとたび自分の意識に取り込むなら、英語学習者は、自分が全学習コースのどのあたりにいるかを即座にイメージできます。大切なことは、英語を含む外国語の学習は、二か月や三か月、あるいは半年や一年を費やしても、思うような成果を挙げることは難しいということです。ただし、何の学びでも同じですが、英語の学習においても、基本の学習がその後の学習の基礎になります。今ここに、本格的な英語力の習得を目指して学び始めた一人の初心者がいるとしましょう。彼は英語の基礎を学び始めます。ところが、最初の一年間に学ばなければならないことは気が遠くなるほど多いのです。しかし、本格的な英語力を身に付けるには一年は短すぎます。そこからさらに数年間、もしくは十年以上にわたって、地道な努力を積み重ねなくてはなりません。そこまで行けば、習得した英語にある程度の手ごたえを感じることができ、英語圏でも生活にもほとんど困りません。
英語を奔放に、そして自由闊達に使いこなすとなると、そこから更なる努力が必要です。しかも、このような目標に向かって努力する際に極めて重要なことは、正しい方法で努力することです。何故なら、かなりの数の方が、懸命に努力はしたけれども、正しい方法で行わなかったため、上級まではたどり着けず、中級の途中、下手をすれば初級の途中で立ち往生してしまうからです。その人たちは、上達の各過程で、その段階にふさわしい学習方法で臨むべきだったのです。しかし、それを学ぶ前に、標準モデルとしての英語学習の全行程を一旦俯瞰的に眺めることが先決です。そして、それらの行程を私は三つのブロックに分けて考えるべきだと思っています。そしてそれらは、英語学習の進展を示す三つの段階としてとらえることができます。ですからそれらは、伸びてゆく英語力として、三つの学力レベルに対応します。それは、初級レベル、中級レベル、上級レベルです。
では、初級と中級、また中級と上級は、一体どのようにして見分けるのでのでしょうか。英語上達の全体的な道のりを一体のものとして、シームレスに見通す作業は、先ほども述べたように、極めて重要です。しかし、英語学習の通過点としての初級、中級、上級の各段階を区切る目安、もしくは指標がなければ、それらを分ける意味もありません。では、それらの目安は一体何でしょうか。
実は、こういったことについて、今回改めて考えるきっかけとなったのは、前回のブログで取り上げた、習熟度が大きく異なる二人の受講者への、弊社の苦難に満ちた取り組みでした。少し回り道になりますが、まずはそのことからお話いたします。
2. 英語習熟度の問題点:英語学習の初心者と中級者を同時に教えるとどうなるか?
A. 英語習熟度の落差への対処例
前回のブログでは、弊社へのご要望に応えるべく、ある海外の英語ネイティブの講師にお願いして、英語習熟度の著しく異なる二人の日本人(一人は初級、もう一人は中級に相当)を対象に、英語で授業していただくことになったいきさつを書きましたが、今日はその授業の中身について報告します。すなわち、その授業にはどんなリスクが存在したか、それにどんな対策が講じられ、結果はどうだったかを報告します。そして、その後で、この授業を難しくした英語力の差を、個別の学習者が乗り超えるべき難関ととらえ返し、幾つもの難関に阻まれる険しい英語学習の道のり、すなわち学習の全行程を、弊社は「標準学習コース × 適切な学習法」としてカリキュラム化することを視野に入れつつ、そのベースとなる英語上達の三段階論を展開します。
前回のブログに書いたことを少しおさらいしておきますと、英語学習の到達度が著しく異なる二人の社会人を、同一の講師が、英語のみを使って、同一の授業で教えることの問題点は次の通りでした。すなわち、英語力にはっきり差のある受講者二人に対して、同時に、同一の授業の中で、英語を教えるにあたり、その任に当たった講師が、英語学習の初心者に焦点を当てて、英語のルールの基礎を教えるなら、初心者は満足します。しかし、それらの基礎はすでにマスターしている英語中級者は、満足するどころか退屈でため息がもれます。それなら、ということで、今度は逆に英語中級者に焦点を当てた授業をするなら、初心者は、まだ自分がマスターしていない英語のルールを知っているものとして行われる端折った説明やレベルの高い解説には、とてもついていくことができず、疎外感を抱きます。この絶対的二律背反は、構造的なものです。教え方に工夫を凝らせば何とかなるという類のものではなく、何らかの思い切った対策を施す以外に打つ手はないのです。例えば、個別に対応するとか、クラス分けをして二人を別々のグループに入れるとか、抜本的な対策を講じるべきでした。
ところが、英語中級の方のおっしゃった、「英語ネイティブの講師の英語が、自分の知り合いの、もう一人の受講者(=英語初心者)に通じないときは、私が通訳してあげます。」という言葉に励まされ、海外在住の英語ネイティブの講師に無理を言って、何とか授業を引き受けていただきました。ただし、今述べたように、常識ではありえない、規格外の授業をするとなれば、当然、本人には、大きなプレッシャーがあったはずです。ところが、その講師は、私の想定をはるかに超える驚くべき戦略を練り、毎回、周到な授業計画を立て、いかにもネイティブらしい授業を堂々とやってのけました。
見てきたかのようにそう断言できるのは、実は私自身が、その講師の依頼によって、毎回、オブザーバーとして参加し、その授業を実地に体験したからです。その際私は、まるでカードゲームのジョーカーのように、臨機応変に使い回されました。ある時はコメンテーター風に感想を求められ、またある時は講師の助手として設問の趣旨を日本語で説明させられました。そしてしばしば模範的生徒になり切って、受講生と共に、ぶっつけ本番で、練習問題を解かされました。ところで、その講師が採用したテキストは、英語ネイティブの講師が日本人を対象にして使うことを想定したテキストで、私には見たことのないものでした。設問の一つを紹介しておきますと、l と r の発音を正しく区別できるかをテストする10個くらいの例文が用意されていました。私たちはそれらを交互に音読し、講師はそれを聞きながら、l と r の音に対する二人のそれぞれの習熟度を判定するのです。講師の指示によって、例えば、私が奇数番号の文を音読すれば、受講者は偶数番号を音読しました。これはほんの一例ですが、他にも多くの学習事項に対応する新たな設問が、各レッスンごとに幾つも提示され、私たちは、まるで緊張を楽しむかのように、リズム感をもって、次々に解答していきました。
講師は、受講者の解答が間違っていたり、標準に達しないところがあれば、すぐに注意し、正してから、例文を読みなおすことを求めました。その際、講師は私の発音は訂正しませんでした。私と解答を競い合った受講生は英語初心者ではなく、英語中級者でしたが、それでも何度か訂正されました。そしてそのほとんどは英語の発音に絡む設問でした。確かに発音は、一般に、日本人には習得が極めて難しい分野の一つです。しかし、明らかに英語中級以上の実力を持つ受講者が、英語初級者に課せられる発音の練習問題で幾度も講師から訂正されたのは、私にとって驚きでした。と同時に、強く反省を迫られました。一般論としての英語上達のあるべき道筋について、これまでの常識を再考させるに足る出来事でした。それはきっと、潜在する何か深刻な問題への注意喚起だったのです。
B. 初級、中級、上級者を揃えた授業の可能性と意味
ところで、もうお気づきのように、この授業の受講生は、元来、二人のはずでした。受講を申し込んだのは二人で、そのうちの一人は英語初心者でした。ですからこの条件下における当たり前の判断として、講師は、英語初心者に焦点を合わせて授業を設計し、そのための問題を用意されたのです。ところがそれらの問題を実際に解答したのは、ほとんどの場合、上に述べたように、英語中級の受講生であり、講師の要請によって、私が「もう一人の受講生」の如くにふるまい、あたかも、英語中級の受講生の他に、もう一人の受講生がいて、この二人で交互に解答しているかのように見えるたのでした。でもなぜそうなったかというと、受講申請されていた英語初心者の方が、ほぼ毎回、自分の都合で(会社の残業などが原因だったかもしれないが詳細は不明)開始時刻の午後8時直前になって、受講を取りやめられたからです。かくして、二回を除いて、この授業には、英語中級の受講生のみが参加しました。けれども、英語初心者の方は、自分が出席したときは、講師が用意した初級者用の問題にまじめに取り組み、時々間違えながらも少しも悪びれず、真摯に解答されました。他方、英語中級者の方は、それらの問題の解答を求められるごとに、初級者よりもずっと素早く、ほぼコンスタントに正しく答えられました。
このように、英語初心者の方が参加された授業は、英語中級者の方、それにオブザーバー参加の私を加えると、英語の初級者、中級者、上級者が揃った全く新しいタイプの授業を出現させました。不思議なことに、このタイプの授業に、受講生は、私を含めて、何の違和感も抱きませんでした。ごく自然に、見事なバランスさえ感じさせながら、淡々と授業が進んでいったのです。そして、このような形の授業の中に、英語上達の道のりを考える上で重要なヒントが隠されていると気づきました。そのきっかけとなったのが、英語圏で採用されている、英語のスペリングと発音の関係を教えるフォニックスでした。
C. フォニックスとは何か
ご承知のように、英単語の正しいスペリングを覚えることは初級、中級を問わず、英語の語彙に関する学習の基本ですが、英語中級者の受講生がしばしば間違えたのは、単語の正しいスペリングの知識を問う問題ではなく、与えられた単語のスペリングから、正しい発音を推測して発音することができるかどうかを見る問題でした。dog, cat, car あるいは telephone, hospital, station, また mother, father, boy, girl, あるいはgo, walk, he, she, it, など中学校の教科書で学んですぐに覚えた基本単語なら、日本人はほぼ例外なく発音を間違えることはありません。しかし、phantasmagoria (魔術幻燈)とか Constantinople (コンスタンチノープル)など、普段はめったにお目にかからない単語が急に目の前に現れたとき、直ちに、沈着冷静に、それらを正しく発音できるとは限りません。ところが、英語圏では、例えどんなに見慣れない単語であっても、スペリング集合(使われたアルファベットの種類と数)と組み合わせ(使われたアルファベットの並べ方)から、あるルール一式を用いて、特定の発音(限りなく正解に近い音)を導き出す方法が実用化されています。つまり、無作為に選ばれた所与の単語のスペリングとその発音の関係を高度に関連付ける一般的ルール(膨大な数の事例のフィードバックを経て精緻化されている)が、フォニックスという名称を与えられ、全国の小学校の一年生を対象に、絶対に学ぶべき事柄として教えられています。
今回私たちが授業をお願いした講師は、英語圏で育った英語ネイティブです。当然、自分の受けた授業のことを強烈、かつ鮮明に、覚えておられるはずです。一方、私自身につい言えば、スペリングと発音の間に何か法則のようなものが存在することに、高校生のころから自分で気づいていました。そのため、授業で使うために講師が用意していた問題は見慣れた問題にしか見えず、練習問題についても、迷うことなく正しい発音を披露することができました。これまで見たこともない、見慣れないスペリングを持つ地名や人名でも、私にはすでになじみ深いスペリング特性をそこに見出すかぎりにおいて、すぐさま正しく発音できたのです。ところが、このような興味深いスペリング特性について、しかるべき学びの機会が与えられない現代の日本の英語教育の最前線では、英語発音に関する限り、英語初心者と英語中級者の間にあってしかるべき学び残しの分量差が他の分野におけるよりずっと少なく、日本特有の問題が、英語中級者に多く見られる深刻な自信の欠如、もしくは顕著な伸び悩みとなって露呈しています。これこそ、私の見るところでは、過去150年以上もの長きにわたって、我が国に、数限りない「英語難民」を生じさせてきた主原因なのです。
さて、ここで図らずも、面白い状況が出現していることに、皆さんは気づかれたでしょうか。英語初心者は、当然 r と l の区別などできるはずもありません。また、スペリングから発音を予測する発音学習のシステムであるフォニックスのことなど、日本人の場合、知る由もない話です。となれば、英語学習の初心者は、当然、あらゆる発音問題が解けないことになります。一から一つ一つ手取り足取り教えてもらわなければ、一歩も歩けない赤ん坊のようなものです。一方、英語学習の中級者ともなれば、r と l の区別はある程度できます。発音の問題は、7~8割方、問題なくクリアできると言っても 過言ではありません。でも、さすがに100%はできません。日本人の場合、よほど練習をしなければ、早口でしゃべっているとき、そのすべての単語の、すべての発音を、アクセントの位置まで含めて、正確に発音できるとは限りません。特に r と l の区別、s とsh の発音の区別、s と th の発音の区別、f とh の発音の区別、あるいは major と measure の発音の区別、coat とcourt の発音の区別、folk と fork の発音の区別など、よほどの訓練をしない限り、それらの一つ一つを瞬時に正しく区別して、きちんと発音するのは至難の業です。したがって、英語学習の中級者は、これらの区別のいくつかについては、まだマスターできていない状態にあります。
すでに述べたように、スペリングから発音を予測する方法は日本では全く教えられていませんが、オーストラリアでは、フォニックスとして低学年の間に普通に教えられています。その中には、日本人にとっても、覚えておけば役立つものがいくつもあります。例えば、at, that, cat, fat, hat, などは「ア」と「エ」の中間の音、発音記号では/æ/で表される音を含みますが、ate は/eit/ と発音され、indicate は/indikeit/ と発音され、fateは/feit/ と発音され、hate は/heit/ と発音されます。ここで注目すべきは「t +e 」というスペリングの組み合わせです。英単語には子音で終わるものが無数にありますが、その中で、「t +e 」という組み合わせがある場合、 t の前の母音 a は/ei/ と変化を起こします。また、「t +e 」の e は発音されません。単語の終わりが「c+e」の場合も、その前にa が来る語では、そのa は/ei/ と発音されます。例えば、face, pace, lace, race, place などがそうです。また、母音 a だけでなく、母音の i についても、同様のことが起こります。例えば、 sit, kit の i は/i/ と発音されますが、site, kite, となると i は/ai/ と発音されます。「座る」という意味で発音は /sit/ ですが、「場所」という意味での site の発音は/sait/ であり、「道具箱」という意味の kit の発音は /kit/ ですが、「鳶、凧」という意味のkite の発音は/kait/ です。同様に、fin (/fin/)は「(魚の)ヒレ」ですが、fine(/fain/)は 「晴れた、すばらしい、元気な」という意味で使われることもよく知られています。また、ph がいつもきまって /f/ と発音されることは、すでに多くの人の常識です。例えば、philosophy, telephone, photograph, などがその例です。もっと難しい例を見ておくと、例えば、ea のスペリングは/e/ と発音される場合と、/i:/ と発音される場合とがあります。そのいずれかなのですが、前者の例としては、bread, head, health, stealth, heaven, leaven, meadow, peasant, measure, feather, pleasure, pleasant, steady などがあり、後者の例としては、eat, each, ease, eagle, east, beast, feast, least, bead, beat, heal, lead, leap, leave, appeal, meat, peace, peach, pea, plea, plead, please, steal, steam, beak, beamなどがあります。この区別があることを知っているだけで十分なのですが、敢えて問うてみましょう。これらを分ける法則はどこにあるのでしょうか。暫定的に言えるのは、前者の場合、「子音+ea +子音」の構造を持ち、後の子音が d, lth, ven の場合、または、「子音+ea +子音+母音」、または、「子音+ea+子音+母音+子音」であること、後者の場合の条件としては、「ea +子音」、または「ea+gle, st)」、または「子音+ea +子音」または「pl+ea(+d, z)」であることです。でも、ここまでくると法則を見つけているというよりも、マニアックな探求に見えてくるかもしれません。興味深いのは、語源解説付きの英英辞典を引いていると、発音とスペリングは、語源や時代による変化がかかわっている場合があるらしいと気づくことです。例えば、「大佐、連隊長」の意味で使われる colonel はなぜか l を発音しません。ところが、かつては coronel というスペリングだった時代があり、その時の発音が現在の発音に引き継がれたのだそうです。他にも、knife やknow の最初の k が発音されなかったり、talk のl が発音されないことが気になります。他にも、light, fight, find のi の発音が /i/ ではなく /ai/ である理由など、私には不思議ですが、古英語にヒントがありそうなことことは何となく見当がつきます。もっと不思議な例としては、例えば、lieutenant は「代官、中尉、警部補(アメリカ英語)」などの意味で使われる語ですが、イギリス英語では lieu-の部分を/lef/ と発音し、アメリカ英語では /lu:/ と発音します。イギリス英語で /f/ の音が入るようになった理由としては、最近読んだ、ある英英辞典の解説によれば、元来この語はフランス語に由来し、古代フランス語の発音では、u をv と発音していたのが、近代になって f と発音され始めたためであろうとしています。現代のフランス語では lieu は単独でもよく使われる語ですが、私の知る限り、「リゥ」に近い発音のはずです。言葉は、長い年月によって、またそれが伝わった国や地域によって、そのや意味やスペリング、さらには発音までもが、微妙に変化するのです。
3. 英語上達の三段階
誰であれ、一定程度以上の効率を維持しながら、毎日30分、あるいはそれ以上の時間を費やして、英語を学び続けている人は、遠からず、英語初級の段階を超えて、その上の段階へ到達します。つまり、ほとんどの日本人英語学習者の例に漏れず、英語が何も分からないゼロ地点から始めても、倦まず弛まず学び続けていけば、必ず初心者の段階を卒業して、中級者のレベルに進み、それでもなおさらに学び続ければ、やがて、その次の段階である上級者のレベルに達します。また、それでも学びを止めずに、地道な努力を継続していくなら、ついには、本人が、当初思ってもみなかったような、高レベルに達します。
そういうわけですから、ここからは、出発点に立った学習者に課せられている具体的な学びについて、まずは、詳しく見ていきましょう。そして、その個々の学習事項を通覧した後、それらの学びを終えたとき、さらに何を学習するのかを見ていきます。それが中級の学びの内容になります。そしてさらにその後で、英語学習の最終到達地点である、最上級のレベルに達するには、どのような訓練を経なければならないのか、そして、英語上級者の実力ががどんなものかを、皆さんと一緒に確認したいと思います。
a. 英語初心者の学び
英語初心者は英語で言えば beginner です。英語の学習を始めたばかりの人(someone who has just begun to learn English) のことです。英語初心者は英語を全く知らないところから英語を学び始めます。まだアルファベットもろくに読めません。単語の一つも知りません。
勿論、動詞も助動詞も名詞も代名詞も、形容詞も副詞も知りません。前置詞も冠詞も接続詞も知りません。関係代名詞も関係副詞も知らなければ、動詞の時制、すなわち、過去、現在、未来の区別の仕方、また、助動詞の使い方、現在分詞と動名詞の区別の仕方、また現在進行形の特徴や使い方も知りません。それから、完了時制、すなわち、現在完了、過去完了、未来完了が、それぞれどんな形をとり、どんな意味をもつのかも知りません。
また、英語では「文」(sentence)という構造の重要性を知りません。また、文型の特色、文の四つの要素、すなわち、「主語」「動詞」「目的語「補語」の区別の仕方と、それらの組み合わせで決まる、いわゆる「ご文型」についても知りません。また、文の分類の仕方、すなわち、平叙文、疑問文、否定文、感嘆文、祈願文の使い方や特色を知りません。また、「文」を複雑化するものとしての複文、重文がどんなものか知りません。主節と従節の区別も知らなければ、強調構文や一人称、二人称、三人称の区別や、時間や天候を表すときに使う it の特別用法も知りません。
英語の初心者は、最初、英語の発音についても何も知りません。例えば、アルファベットの名称をまず学ぶ必要があります。次に、各アルファベットの名称と、それらが英単語を構成する際に発音される音とが、必ずしも一致しないことも知りません。それから、英語では、母音と子音の区別が重要であることも知りません。そして音節という概念を知りません。したがってまた、英単語には単音節語と多音節語との区別があることも知りません。また二つ以上の音節から成る多音節語には、必ずいずれかの音節にアクセント(強勢アクセント)が置かれることを知りません。つまり、各単語の実際の発音において、強い音節にアクセント(=強勢アクセント)を置いて、強く長めに発音し、他の音節は短めに弱く発音しなければならないことも知りません。音節の数え方も覚える必要があります。なぜなら、詩にいおいては一行の音節の数が10個なら10個と決まっていることが、定型詩の条件であり、強音節と弱音節の交代のリズムや押韻の仕方によって、様々な詩形が存在することも知る必要があります。
これらは、すべて英語の基本であり、英語学習の初心者にとっての学習項目(learning targets for the beginners of English)です。これらをすべてマスターしなければ、中級のレベルに進むことはできません。もし、これに付け加えることがあるとすれば、それは一定の語彙です。英語学習者はかなりの数の英単語を憶えなければなりません。上に列挙した事項の学びと並行して、英語の基本語彙である1500~3000語を優先的に学び、それらが一定程度使えるようになるまで、スペリング、発音、意味を、繰り返し学び、体に刻み込むまで、習熟しておく必要があります。
英語初級者は、こうして、自分のレベルに見合った達成目標を達成し、それを言語スキルとして習得したとき、結果として、日常の基本的な英会話が楽にでき、比較的易しい基本的な英文を読んで理解し、聞いて理解することができ、初歩的な英文を正しく書くことができるようになります。
もしまだそれが半分もできないような段階だと、英語の初級をマスターしたとは言えません。英語の学びは、一旦何かを暗記すれば、それで学びが終わるようなものではありません。英語学習の初級者には、上に述べたように、実に多くの学ぶこと、身に付けることがあり、一般に語学がそうであるように、それら初級の学びをまじめに学びきることが期待されています。そして、初級者に期待されていることを順次きちんと学んでいくことで、また訓練して身に付けていくことで、いつの間にか英語を使って基本的な日常の用は全て足せるようになります。英語初級者は、この段階をきちんと踏むことで、やがて、あらゆる場面で応用ができる英語の基本が身に付きます。しかも、学びはそこで終わるのではなく、英語初級の学びが完了すれば、すぐに次の学びの段階、すなわち英語中級の学びが待っています。
b. 英語中級者の作業内容
それでは、英語中級者に求められる学習内容はどんなものでしょうか。それには、文法事項で言えば、英語初級者には少し難し過ぎる仮定法が含まれます。英語中級者は、英語初級者だったときはまだ不慣れだった仮定法がどのような場面でどう使われるのかを理解し、自在に正しく使いこなせるようにならなければなりません。また、数や時間の表現に精通し、各種の度量衡の単位の使い分け、割合や分数計算、ものの大小、長短の比較、値段の比較、感情や意思に関する語彙、可能性や蓋然性に関する一般的な語彙の正しい使い分け、諸条件を勘案した結論の出し方などを覚える必要があります。それらを日常生活において、これらの知識を自在に英語で使いこなすことが求められます。
また、日常的なくだけた言い方と改まったフォーマルな言い方との使い分けも、ある程度できるようになることが求められます。中級では特に、冠詞の使い方に習熟する必要があります。つまり、不定冠詞と定冠詞(a, an,または the) を正確に使い分け、無冠詞の場合を加えて、必要な四択を正しく実践しながら、英語を話したり書いたりすることが求められます。また、日常頻繁に使われる前置詞を、必要に応じて縦横に使いこなすことも、一見地味に見えますが、かなりの精度で求められます。
英語中級者に求められるその他の事柄としては、段落単位で文の意味を把握できるようになることです。また、裏を返せば、英文を書く際にも、段落の効用をしっかり意識した書き方ができるようになる必要があります。
c. 英語上級者が目指すもの
では次に、英語上級者にはどんな学習が求められるのでしょうか。英語上級者に求められるのは、英語初級、および英語中級の段階で学んだ知識や習得した技量をきっちり維持しつつ、それらの全てを臨機応変に使い切るだけの習熟、そして実践的な練度が求められるのです。例えば、冠詞の使用についても、100%の正確性が求められます。自動的に正しい冠詞が使えなければ、もっと他のことに集中できないからです。冠詞は自動的に正しく使える状態になければ、議論している相手に、物事を頼んでいる相手に、こいつ大丈夫かと不信感を抱かれたり、馬鹿にされたり、軽蔑されたりします。英語とは万事そういうものなのです。関係代名詞の使い方から、接続詞の使い方から、前置詞の使い方まで、絶えず変わりゆく状況に合わせて、一瞬一瞬、それらが正しく使われているかが相手にチェックされます。少しでも違和感があれば、そこには疑問符がつけられ、英語力への信頼が揺らぎます。これが上級者に求められる英語力です。
これに加えて、英語の上級者には何かの分野の精通しているか、少なくとも専門的な知識のあることが求められます。何百何千とある専門分野に同時に通じることはできません。しかし、何かを選んでどれか一つの分野に詳しくなることは可能です。自分の得意な分野、好きな分野について、多くの知識を持つことは好ましいことです。趣味が同じで話が弾むこともあれば、同じ専門分野の研究開発にチームが一丸となって取り組むこともあります。また、わざと異なる分野の専門家が集まって大きなミッションに取り組むこともあり得ます。
英語上級者を待っているのはそういった知的交流の世界です。英語が上級であるということは、英語を学ぶ必要がもはやない状態、これからは専門分野での研究や議論に、互いに対等の立場で、持てる力の全てを尽くすことが求められている状態を指すのです。
4.英語学習を続けることの意味
少し話を戻すなら、英語初心者と英語中級者を同時に教えることの意味はどこにあったのでしょうか。実践例から浮かび上がってきた事実は、英語初心者の学びと英語中級者の学びは、実は、地続きであり、英語中級者と言えども、絶えず英語の初心に帰って、基礎を固め直さなければその先へ進めないということです。このことを、ほかならぬ学習に理解してもらえるように仕向けるところに工夫が必要だったのです。たとえば、go とcome の違いを覚えるとき、英語初心者は日本語で考えながら「訳語」を当てはめて、日本語で言えば go は「行く」で come は「来る」と覚えます。でも英語では、いつもそれだけの知識で間に合うとは限りません。例えば、「~さーん、すぐ来てくれませんか。」と誰かに頼まれた人が、「今行きまーす。」と答えたとします。日本語でならこの返事はごく普通です。しかし、go は「行く」、 come は「来る」と言うふうに、この二つの単語を日本語の訳語を当てはめることで覚えたつもりになっていると、早晩、とんでもない間違いを起こします。「今行きまーす。」を "I' going right away." と言って はいけません。ここは "Coming! "と思い切り大きな声で答えるとよいのです。これが普通の英語です。このフレーズは、”I'm coming to you right away.”の意味で使われます。go はある場所から遠ざかるときに使います。Go home!は「とっとと帰れ!」と言う意味です。「ここはあなたの来るところではない。」と言う拒絶の意味で使われる言葉です。「ここ(=その都度理念的に共有される特定の場所)から離れていきなさい」と言う意味で go が使われたのです。これに対して、I'm coming. は「あなたのもとへ馳せ散じます。」と言う意味です。ある特定の場所を基準にして、その場所から離れていくのが go で、逆に、その場所へ近づいていく行為に言及するとき come を使う、と覚える必要があります。このような知識は英語初級者に、比較的初期の段階で教えられます。なぜなら、 go もcome も基本語であることに変わりなく、初級者に教えなくて一体誰に教えるのか、と言えるほど日常的によく使われる初歩的な言葉だからです。しかし、今述べたような区別は、日本語母語者には極めて分かりにくく、初めて自転車の乗り方を覚える人のように、何度も失敗しながら、身体で覚え切るまで練習する必要があります。教師の仕事は英語の基本単語や基本文法を初級者に教えることですが、その正しい使い方に習熟するのは学習者本人の仕事です。なぜなら、日常的によく使われる基本的な英語の単語で、日本語と一対一で意味が対応している語は、数字や専門用語以外にはほとんど存在しないからです。大なり小なり、皆なにがしかの意味のずれや意味範囲の不一致があるのです。ですから、基本語を覚えると言っても、単語帳で単語を覚えるような具合に、英単語一に対して訳語一、というふうに覚えて英語がマスターできるほど、英語の語彙の学びは甘くありません。基本語については、多くの意味のずれをできるだけ多く拾い上げ、やがて、英語独特の意味を、その細かいニュアンスに至るまで、英語として、正しくとらえ返す、骨の折れる作業が必要なのです。基本語の多様な意味に即応できるようになるまで、しかるべき修練を経たとき、学習者はすでに中級に達しており、そこから、その上を目指す上級者への道が開かれるのです。