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英語上達の三段階

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英語上達の三段階

英語上達の三段階

2024/02/03

英語上達の三段階

英語学習の初心者と中級者と上級者の段階別学習法

初めに

 私はこれまで、英語に関する個別の話題を、その時々の関心に応じて、幅広く取り上げてきました。例えば、二重母音長母音の違いに注意を喚起し、曖昧母音と呼ばれる母音の特色を論じ、英語における音節の重要性とその数え方を確認し、連続性子音の発音とその取り扱い方を取り上げ、 l とr 、f とv 、 s とsh 、また th の音の出し方を解説し、measure は料理の「メジャースプーン」の「メジャー」であり、major はアメリカのプロ野球「メジャーリーグ」の「メジャー」で、日本語だと発音の区別はないが、英語の発音は互いに全く異なるという事実に注意を喚起し、英語の「ア」音が五種類あることを指摘し、それぞれの発音を解説しました。それから、「動詞の原形+ing 」という外形を共有する現在分詞動名詞の見分け方を論じ、完了形が可能にした時間視野の拡張を「have +過去分詞」という決まった構造との関係に絡めて解説し、would, could, should, might など、助動詞の過去形を使って架空の話や仮想の世界に入ったり、婉曲な言い方ができたりする、おしゃれで使い勝手の良い仮定法に習熟していただくために、あれこれ例を挙げて解説し、冠詞が名詞との関係において果たす重要なコミュニケーション機能を、定冠詞不定冠詞( a と an)、無冠詞という四択の原理として解説し、先行する前置詞が後続の名詞と結びついて(前置詞+名詞)形成される前置詞句形容詞句または副詞句の働きをする)の縦横無尽な働きに触れ、他方で、日本語には類を見ない独立性と抽象性を与えられ、驚嘆すべき論理整合性を発揮する代名詞(人称代名詞、指示代名詞、関係代名詞、it の特別用法)の活躍に触れました。また、構文の大切さに注意を喚起しつつ、いわゆる五文型文の要素の関係を論じました。短い単文で解説される五文型の例文は、いずれもパターンが透けて見えるように工夫されているので極めて簡単に見えますが、実際の英文は幾つもの文がつながり、支え合って一つの長文を形成することも稀ではありません。文型分析を素早く正確に行うには、接続詞、関係代名詞、関係副詞の使い方を熟知し、名詞節、形容詞節、副詞節の区別ができるなど、確かな文法知識を身に付けておく必要があります。他方、学校では取り上げられないテーマとして、ギリシャ語・ラテン語由来の無数の接頭辞及び接尾辞が持つ品詞変換機能の重要性を論じ、一般的に、英語の語彙に精通し、英語特有の感覚(語感)を養うためには、英和辞典よりも英英辞書を使う方がずっと効果が高いと説きました。

 日本の学校では英文法はかなり手厚く教えますが、発音語彙については熱心ではありません。そこで、日本語にない発音について、発音記号を駆使しながら解説しました。英語はその大部分が日本語にない音で構成されています。音節という概念が日本語には無く、多音節語に宿る強勢アクセントも日本語には存在しません。そして、その両者(音節と強勢アクセント)の相乗効果が生み出す英語特有のイントネーションも日本語には存在しません。次に、語彙については、意味の区別が難しい類義語を論じました。例えば「~を集める」という共通の訳語を持つ三語、 assemble と gather と collect の明確な使い分けを論じ、「自由」という共通の訳語を持つ 二語、liberty とfreedom のニュアンスの違いと使い分けを論じました。また日本語でも区別が難しい「可能性」と「蓋然性」の違いを英語では possibility と probability という二語で使い分けることを説明しました。他方、feasibility は「実現可能性」または「実行可能性」、viability は「生存可能性」、sustainability は「持続性」と訳されますが、これらの訳語は、日本人にとってはどこかぎこちない感じがするのに対して、英語ではちょっとした議論などで日常的に使われる言葉です。類義語を論じたのは、真の意味で英語の習熟するためには、多くの原文を読むとともに、信頼のおける英英辞典を引き、原文から取られたと思われる典型的使用例に接するのが一番の近道だからです。

 しかし、数多くのテーマについて書き続けてきたので、これ以上書くことはないと思い始めたころ、まだ何か極めて大切なことが書かれていないんのではないか、という強い思いが湧いてきました。最近ようやくその疑念が何に起因していたかが分かってきました。書くべきでありながらまだ書いていなかったのは、トータルとしての英語学習支援策でした。それはどのようなものでしょうか。

 それは、これまでのように特定の話題に向かってカメラをズームインするかわりに、複数の学習目標を捉えつつカメラをズームアウトし、最終的に、英語学習の全行程を視野に収めることを意味します。そしてそこに立ち、そこからでしか見えてこない、英語学習支援策を練る必要があったのです。それは譬えてみれば、マラソンランナーに指示を与える名コーチの仕事に匹敵します。学習者が、英語を全く知らない知識ゼロ地点を出発し、初級レベルの全行程を無事に通過し、次に苦しい中級の曲がりくねった坂道を上っては下り、ついに、高度な運用能力の獲得を目前に控えた英語上級者のコースを颯爽と走るところまで、適切な言葉でサポートすることの重要性に気づいたのです。英語学習者という名の、ある種の長距離ランナーが、途中で諦めることなく、また道草を食うことなく、無事にゴールまで走れるよう、要所要所で的確なアドバイスを与え続けることの重要性です。

 では、英語学習者が長期的な展望を持つことのメリットは何でしょうか。まず第一に、それによって英語学習の効率を上げることができることです。なぜなら、学習効率を上げることができるかというと、学習の開始時点で学びの到達目標をイメージすることができれば、現時点での学習への動機付けとなり、苦しいときでも努力を続ける意味を見出すことができるからです。もし、英語学習の成果=学習事項 ×学習時間 × 正しい学習という公式を敢えて意識化し、自分が学習すべき全項目を一望することができれば、英語学習者は、自分がいま、全行程のどのあたりにいるかを知ることができ、大いに刺激となります。そして英語の学びは長時間の学習が前提となりますから、努力は正しい方法でなされる必要があります。何故なら、懸命に努力はしたけれども、正しい方法で行わなかったため、上級まではたどり着けないでいる方も、世の中には結構多いと思われるからです。その人たちは、私に言わせていただければ、上達の各段階に相応しい学習方法を採用すべきだったのです。

 では、そのような適切な学習方法とは何でしょうか。それを見つけるには、英語学習の標準モデルとしての全行程を明らかにすることが必要です。私はそれらの行程を三つのブロックに分けるのが実際的だと考えています。そのブロックは学力レベルと並行して提示されるのが分かりやすく、実際的だと思います。そこで学習行程の三つのブロックを、学習によって到達すべき三つの学力レベルとして示します。それらは、初級レベル中級レベル上級レベルです。

 では、初級と中級、また中級と上級は、一体どのようにして見分けるのでのでしょうか。英語上達の全体的な道のりを一体のものとして、シームレスに見通す作業は、先ほども述べたように、極めて重要です。しかし、英語学習の通過点としての初級、中級、上級の各段階を区切る目安、もしくは指標がなければ、そしてそれらのレベルに達することのメリットが、その都度見出せなければ、それらの学習段階を区切ることに何の意味もありません。では、それらの目安は何であり、英語の上達がもたらす利益や意義、もしくは意味は何でしょうか。

 実は、こういったことについて考えるきっかけを与えてくれたのは、前回のブログで取り上げた、習熟度が大きく異なる二人の受講者への弊社の取り組みでした。私たちが今回取り上げようとしている、英語学習者の現時点での到達度を知り、その上でその時点に相応しい適切な学習方法を知るには、まずは当該学習者の現在の英語力レベル、言い換えれば、現時点での英語の習熟度を知ることから始めなければなりません。そこで、それを知る必要性とその対処方法をいやというほど考えさせてくれた弊社のある教育的取り組みを検討することから始めます。

 

1. 英語学習の初心者と中級者を同時に教えるとどうなるか?

 A. オブザーバー参加者の視点から

 前回のブログでは、弊社へのご要望に応えるべく、ある海外の英語ネイティブの講師にお願いして、英語習熟度の著しく異なる二人の日本人(一人は初級、もう一人は中級に相当)を対象に、英語で授業していただくことになったいきさつを書きましたが、今日はその授業の中身について報告します。その授業には、どこにどんな難しさ、あるいはリスクが存在したか、そしてどのような対策が講じられた授業だったのかを報告した後、反省として、この授業の難しさの背後にある、英語力一般の問題の重要性、さらには、英語上達のために学習者が乗り越えていかねばならないいくつかの関門について、英語学習の三段階というテーマで詳しくお伝えしたいと思います。

 前回のブログに書いたことを少しおさらいしておきますと、英語学習の到達度が著しく異なる二人の社会人を、同一の講師が、英語のみを使って、同一の授業で教えることの問題点は次の通りでした。すなわち、英語力にはっきり差のある受講者二人に対して、同時に、同一の授業の中で、英語を教えるにあたり、その任に当たった講師が、英語学習の初心者に焦点を当てて、英語のルールの基礎を教えるなら、初心者は満足します。しかし、それらの基礎はすでにマスターしている英語中級者は、満足するどころか退屈でため息がもれます。それなら、ということで、今度は逆に英語中級者に焦点を当てた授業をするなら、初心者は、まだ自分がマスターしていない英語のルールを知っているものとして行われる端折った説明やレベルの高い解説には、とてもついていくことができず、疎外感を抱きます。この絶対的二律背反は、構造的なものです。教え方に工夫を凝らせば何とかなるという類のものではなく、何らかの思い切った対策を施す以外に打つ手はないのです。例えば、個別に対応するとか、クラス分けをして二人を別々のグループに入れるとか、抜本的な対策を講じるべきでした。

 ところが、英語中級の方のおっしゃった、「英語ネイティブの講師の英語が、自分の知り合いの、もう一人の受講者(=英語初心者)に通じないときは、私が通訳してあげます。」という言葉に励まされ、海外在住の英語ネイティブの講師に無理を言って、何とか授業を引き受けていただきました。ただし、今述べたように、常識ではありえない、規格外の授業をするとなれば、当然、本人には、大きなプレッシャーがあったはずです。ところが、その講師は、私の想定をはるかに超える驚くべき戦略を練り、毎回、周到な授業計画を立て、いかにもネイティブらしい授業を堂々とやってのけました。

 見てきたかのようにそう断言できるのは、実は私自身が、その講師の依頼によって、毎回、オブザーバーとして参加し、その授業を実地に体験したからです。その際私は、まるでカードゲームのジョーカーのように、臨機応変に使い回されました。ある時はコメンテーター風に感想を求められ、またある時は講師の助手として設問の趣旨を日本語で説明させられました。そしてしばしば模範的生徒になり切って、受講生と共に、ぶっつけ本番で、練習問題を解かされました。ところで、その講師が採用したテキストは、英語ネイティブの講師が日本人を対象にして使うことを想定したテキストで、私には見たことのないものでした。設問の一つを紹介しておきますと、l と r の発音を正しく区別できるかをテストする10個くらいの例文が用意されていました。私たちはそれらを交互に音読し、講師はそれを聞きながら、l と r の音に対する二人のそれぞれの習熟度を判定するのです。講師の指示によって、例えば、私が奇数番号の文を音読すれば、受講者は偶数番号を音読しました。これはほんの一例ですが、他にも多くの学習事項に対応する新たな設問が、各レッスンごとに幾つも提示され、私たちは、まるで緊張を楽しむかのように、リズム感をもって、次々に解答していきました。

 講師は、受講者の解答が間違っていたり、標準に達しないところがあれば、すぐに注意し、正してから、例文を読みなおすことを求めました。その際、講師は私の発音は訂正しませんでした。私と解答を競い合った受講生は英語初心者ではなく、英語中級者でしたが、それでも何度か訂正されました。そしてそのほとんどは英語の発音に絡む設問でした。確かに発音は、一般に、日本人には習得が極めて難しい分野の一つです。しかし、明らかに英語中級以上の実力を持つ受講者が、英語初級者に課せられる発音の練習問題で幾度も講師から訂正されたのは、私にとって、一種、新鮮な驚きでした。と同時に、強く反省を迫られました。一般論としての英語上達のあるべき道筋について、これまでの常識を再考させるのに足る違和感が残りました。それはきっと、何らかの英語教育上の深刻な問題への注意喚起だったのです。

 

 B. 初級、中級、上級者を揃えた授業の可能性

 ところで、もうお気づきのように、この授業の受講生は、元来、二人のはずでした。受講を申し込んだのは二人で、そのうちの一人は英語初心者でした。ですから、講師は英語中級者のために授業をするのではなく、むしろ英語初心者に焦点を合わせて授業を設計し、そのための問題を用意されていたのです。ところがそれらの問題を解答したのは、ほとんどの場合、上に述べたように、英語中級の受講生であり、講師の要請によって、私が「もう一人の受講生」の如くにふるまい、二人で交互に解答することになったのでした。それは、英語初心者の方が、ほぼ毎回、自分の会社の残業などのせいか、開始時刻の午後8時の直前になって、受講を取りやめられたからです。かくして、二回を除いて、この授業には、英語中級の受講生のみが参加しました。けれども、英語初心者の方は、自分が出席したときは、講師が用意した初級者用の問題にまじめに取り組み、時々間違えながらも、まじめな受講生として、少しも悪びれず、真摯に解答されました。勿論、英語中級者は、交互に、それらの問題の解答を求められるごとに、初級者よりははるかに素早く、ほぼコンスタントに正しく答えられました。

 このように、英語初心者の方が参加された授業は、英語中級者の方、それにオブザーバー参加の私を加えると、英語の初級者、中級者、上級者を揃えた全く新しい授業形態として行われました。ここには、英語上達の道のりを考えるうえで、重要なヒントが隠されていると気づきました。それを考えるきっかけとなったのが、英語圏で採用されている、英語のスペリングと発音の関係を教えるフォニックスでした。

 

 C. フォニックスとは何か

 ご承知のように、英単語の正しいスペリングを覚えることは初級、中級を問わず、英語の語彙に関する学習の基本ですが、英語中級者の受講生がしばしば間違えたのは、単語の正しいスペリングの知識を問う問題ではなく、与えられた単語のスペリングから、自動的に、その語の正しい発音を推測し、実際に発音して見せることを求められる問題でした。誰でも知っているような見慣れた単語や基本語なら、日本人でもほとんど発音を間違えることはありません。しかし、全く知らない未知の単語が目の前に出てきたとき、日本人がそれを正確に発音できる保証はありません。ところが、この問題に何の手立ても持ち合わせない日本と違って、英語圏では、どんなに見慣れない単語であっても、スペリングの集合特性(使われたアルファベットの種類)、スペリングの組み合わせ特性(アルファベットの並べ方)の二点から、決まった発音を導き出す方法が教えられています。こうして、スペリングと発音の関係を高度に関連付ける一般的ルールが発見され、厳しい現実からの飽くなきフィードバックを通して高度に精緻化されたルールが、フォニックスという名称を与えられ、正規の英語授業の一環として、全国の小学校の一年生に、学ぶべき絶対的義務として教えられています。

 今回授業をお願いした講師は、英語圏で育った英語ネイティブでしたから、当然、自分の受けた授業のことを強烈、かつ鮮明に、覚えておられたはずです。ところで、私自身につい言えば、スペリングと発音の間に何か法則のようなものが存在することに、自力で気づいていました。そのため、講師が授業で使うために用意していたこの種の問題は、私には見慣れた問題として映り、練習問題でも、直ちに正しい発音を披露することができました。例えば、これまで見たことも聞いたこともない変わった地名や人名でも、私にはすでになじみ深いスペリング特性を見出しさえすれば、既知のルールの応用が利くので、考えるまでもなく、自動的に正しく発音できるのです。ところが、このような学びの機会を一切与えない日本の英語教育の最前線において、英語発音に関する限り、英語初心者と英語中級者の間には、ほとんど何の有意的落差は存在しないのです。これが、100年以上もの間、日本で多くの英語難民が生まれた理由です。

 さて、ここで図らずも、面白い状況が出現していることに、皆さんは気づかれたでしょうか。英語初心者は、当然 r と l の区別などできるはずもありません。また、スペリングから発音を予測する発音学習のシステムであるフォニックスのことなど、日本人の場合、全くもって知る由もありません。となれば、英語学習の初心者は、当然、あらゆる発音問題が解けないことになります。一から一つ一つ手取り足取り教えてもらわなければ、一歩も歩けない赤ん坊のようなものです。一方、英語学習の中級者ともなれば、r と l の区別はある程度できます。発音の問題は、7~8割方、問題なくクリアできると言っても 過言ではありません。でも、さすがに100%はできません。日本人の場合、よほど練習をしなければ、早口でしゃべっているとき、そのすての単語の全ての発音を、アクセントの位置まで含めて、正確に発音できるとは限りません。特に r と l の区別、s とsh の発音の区別、s と th の発音の区別、f とh の発音の区別、あるいは major と measure の発音の区別、coat とcourt の発音の区別、folk と fork の発音の区別など、よほどの訓練をしない限り、それらの一つ一つを瞬時に正しく区別して、きちんと発音するのは至難の業です。したがって、英語学習の中級者は、これらの区別のいくつかについては、まだ完全にはマスターできていない状態にあります。すでに述べたように、スペリングから発音を予測する方法は日本では全く教えられていませんが、オーストラリアでは、フォニックスとして低学年の間に普通に教えられています。その中には、日本人にとっても、覚えておけば役立つものがいくつもあります。例えば、at, that, cat, fat, hat, などは「ア」と「エ」の中間の音、発音記号では/æ/で表される音を含みますが、ate は/eit/ と発音され、indicate は/indikeit/ と発音され、fateは/feit/ と発音され、hate は/heit/ と発音されます。ここで注目すべきは「t +e 」というスペリングの組み合わせです。英単語には子音で終わるものが無数にありますが、その中で、「t +e 」という組み合わせがある場合、 t の前の母音 a は/ei/ と変化を起こします。また、「t +e 」の e は発音されません。単語の終わりが「c+e」の場合も、その前にa が来る語では、そのa は/ei/ と発音されます。例えば、face, pace, lace, race, place などがそうです。また、母音 a だけでなく、母音の i についても、同様のことが起こります。例えば、 sit, kit の i は/i/ と発音されますが、site, kite, となると i は/ai/ と発音されます。「座る」という意味で発音は /sit/ ですが、「場所」という意味での site の発音は/sait/ であり、「道具箱」という意味の kit の発音は /kit/ ですが、「鳶、凧」という意味のkite の発音は/kait/ です。同様に、fin (/fin/)は「(魚の)ヒレ」ですが、fine(/fain/)は 「晴れた、すばらしい、元気な」という意味で使われることもよく知られています。また、ph がいつもきまって /f/ と発音されることは、すでに多くの人の常識です。例えば、philosophy, telephone, photograph, などがその例です。もっと難しい例を見ておくと、例えば、ea のスペリングは/e/ と発音される場合と、/i:/ と発音される場合とがあります。そのいずれかなのですが、前者の例としては、bread, head, health, stealth, heaven, leaven, meadow, peasant, measure, feather, pleasure, pleasant, steady などがあり、後者の例としては、eat, each,  ease, eagle, east, beast, feast, least, bead, beat, heal, lead, leap, leave, appeal, meat, peace, peach, pea, plea, plead, please, steal, steam, beak, beamなどがあります。この区別があることを知っているだけで十分なのですが、敢えて問うてみましょう。これらを分ける法則はどこにあるのでしょうか。暫定的に言えるのは、前者の場合、「子音+ea +子音」の構造を持ち、後の子音が d, lth, ven の場合、または、「子音+ea +子音+母音」、または、「子音+ea+子音+母音+子音」であること、後者の場合の条件としては、「ea +子音」、または「ea+gle, st)」、または「子音+ea +子音」または「pl+ea(+d, z)」であることです。でも、ここまでくると法則を見つけているというよりも、マニアックな探求に見えてくるかもしれません。興味深いのは、語源解説付きの英英辞典を引いていると、発音とスペリングは、語源や時代による変化がかかわっている場合があるらしいと気づくことです。例えば、「大佐、連隊長」の意味で使われる colonel はなぜか l を発音しません。ところが、かつては coronel というスペリングだった時代があり、その時の発音が現在の発音に引き継がれたのだそうです。他にも、knife やknow の最初の k が発音されなかったり、talk のl が発音されないことが気になります。他にも、light, fight, find のi の発音が /i/ ではなく /ai/ である理由など、私には不思議ですが、古英語にヒントがありそうなことことは何となく見当がつきます。もっと不思議な例としては、例えば、lieutenant は「代官、中尉、警部補(アメリカ英語)」などの意味で使われる語ですが、イギリス英語では lieu-の部分を/lef/ と発音し、アメリカ英語では /lu:/ と発音します。イギリス英語で /f/ の音が入るようになった理由としては、最近読んだ、ある英英辞典の解説によれば、元来この語はフランス語に由来し、古代フランス語の発音では、u をv と発音していたのが、近代になって f と発音され始めたためであろうとしています。現代のフランス語では lieu は単独でもよく使われる語ですが、私の知る限り、「リゥ」に近い発音のはずです。言葉は、長い年月によって、またそれが伝わった国や地域によって、そのや意味やスペリング、さらには発音までもが、微妙に変化するのです。  

 

2.英語上達の三段階

 誰であれ、一定程度以上の効率を維持しながら、毎日30分、あるいはそれ以上の時間を費やして、英語を学び続けている人は、遠からず、英語初級の段階を超えて、その上の段階へ到達します。つまり、ほとんどの日本人英語学習者の例に漏れず、英語が何も分からないゼロ地点から始めても、倦まず弛まず学び続けていけば、必ず初心者の段階を卒業して、中級者のレベルに進み、それでもなおさらに学び続ければ、やがて、その次の段階である上級者のレベルに達します。また、それでも学びを止めずに、地道な努力を継続していくなら、ついには、本人が、当初思ってもみなかったような、高レベルに達します。

 そういうわけですから、ここからは、出発点に立った学習者に課せられている具体的な学びについて、まずは、詳しく見ていきましょう。そして、その個々の学習事項を通覧した後、それらの学びを終えたとき、さらに何を学習するのかを見ていきます。それが中級の学びの内容になります。そしてさらにその後で、英語学習の最終到達地点である、最上級のレベルに達するには、どのような訓練を経なければならないのか、そして、英語上級者の実力ががどんなものかを、皆さんと一緒に確認したいと思います。

 

 a. 英語初心者の学び

 英語初心者は英語で言えば beginner です。英語の学習を始めたばかりの人(someone who has just begun to learn English) のことです。英語初心者は英語を全く知らないところから英語を学び始めます。まだアルファベットもろくに読めません。単語の一つも知りません。

 勿論、動詞も助動詞も名詞も代名詞も、形容詞も副詞も知りません。前置詞も冠詞も接続詞も知りません。関係代名詞も関係副詞も知らなければ、動詞の時制、すなわち、過去、現在、未来の区別の仕方、また、助動詞の使い方、現在分詞と動名詞の区別の仕方、また現在進行形の特徴や使い方も知りません。それから、完了時制、すなわち、現在完了、過去完了、未来完了が、それぞれどんな形をとり、どんな意味をもつのかも知りません。

 また、英語では「文」(sentence)という構造の重要性を知りません。また、文型の特色、文の四つの要素、すなわち、「主語」「動詞」「目的語「補語」の区別の仕方と、それらの組み合わせで決まる、いわゆる「ご文型」についても知りません。また、文の分類の仕方、すなわち、平叙文、疑問文、否定文、感嘆文、祈願文の使い方や特色を知りません。また、「文」を複雑化するものとしての複文、重文がどんなものか知りません。主節と従節の区別も知らなければ、強調構文や一人称、二人称、三人称の区別や、時間や天候を表すときに使う it の特別用法も知りません。 

 英語の初心者は、最初、英語の発音についても何も知りません。例えば、アルファベットの名称をまず学ぶ必要があります。次に、各アルファベットの名称と、それらが英単語を構成する際に発音される音とが、必ずしも一致しないことも知りません。それから、英語では、母音と子音の区別が重要であることも知りません。そして音節という概念を知りません。したがってまた、英単語には単音節語と多音節語との区別があることも知りません。また二つ以上の音節から成る多音節語には、必ずいずれかの音節にアクセント(強勢アクセント)が置かれることを知りません。つまり、各単語の実際の発音において、強い音節にアクセント(=強勢アクセント)を置いて、強く長めに発音し、他の音節は短めに弱く発音しなければならないことも知りません。音節の数え方も覚える必要があります。なぜなら、詩にいおいては一行の音節の数が10個なら10個と決まっていることが、定型詩の条件であり、強音節と弱音節の交代のリズムや押韻の仕方によって、様々な詩形が存在することも知る必要があります。

 これらは、すべて英語の基本であり、英語学習の初心者にとっての学習項目(learning targets for the beginners of English)です。これらをすべてマスターしなければ、中級のレベルに進むことはできません。もし、これに付け加えることがあるとすれば、それは一定の語彙です。英語学習者はかなりの数の英単語を憶えなければなりません。上に列挙した事項の学びと並行して、英語の基本語彙である1500~3000語を優先的に学び、それらが一定程度使えるようになるまで、スペリング、発音、意味を、繰り返し学び、体に刻み込むまで、習熟しておく必要があります。

 英語初級者は、こうして、自分のレベルに見合った達成目標を達成し、それを言語スキルとして習得したとき、結果として、日常の基本的な英会話が楽にでき、比較的易しい基本的な英文を読んで理解し、聞いて理解することができ、初歩的な英文を正しく書くことができるようになります。

 もしまだそれが半分もできないような段階だと、英語の初級をマスターしたとは言えません。英語の学びは、一旦何かを暗記すれば、それで学びが終わるようなものではありません。英語学習の初級者には、上に述べたように、実に多くの学ぶこと、身に付けることがあり、一般に語学がそうであるように、それら初級の学びをまじめに学びきることが期待されています。そして、初級者に期待されていることを順次きちんと学んでいくことで、また訓練して身に付けていくことで、いつの間にか英語を使って基本的な日常の用は全て足せるようになります。英語初級者は、この段階をきちんと踏むことで、やがて、あらゆる場面で応用ができる英語の基本が身に付きます。しかも、学びはそこで終わるのではなく、英語初級の学びが完了すれば、すぐに次の学びの段階、すなわち英語中級の学びが待っています。

 

 b. 英語中級者

 それでは、英語中級者に求められる学習内容はどんなものでしょうか。それには、文法事項で言えば、英語初級者には少し難し過ぎる仮定法が含まれます。英語中級者は、英語初級者だったときはまだ不慣れだった仮定法がどのような場面でどう使われるのかを理解し、自在に正しく使いこなせるようにならなければなりません。また、数や時間の表現に精通し、各種の度量衡の単位の使い分け、割合や分数計算、ものの大小、長短の比較、値段の比較、感情や意思に関する語彙、可能性や蓋然性に関する一般的な語彙の正しい使い分け、諸条件を勘案した結論の出し方などを覚える必要があります。それらを日常生活において、これらの知識を自在に英語で使いこなすことが求められます。

 また、日常的なくだけた言い方と改まったフォーマルな言い方との使い分けも、ある程度できるようになることが求められます。中級では特に、冠詞の使い方に習熟する必要があります。つまり、不定冠詞と定冠詞(a, an,または the) を正確に使い分け、無冠詞の場合を加えて、必要な四択を正しく実践しながら、英語を話したり書いたりすることが求められます。また、日常頻繁に使われる前置詞を、必要に応じて縦横に使いこなすことも、一見地味に見えますが、かなりの精度で求められます。

 英語中級者に求められるその他の事柄としては、段落単位で文の意味を把握できるようになることです。また、裏を返せば、英文を書く際にも、段落の効用をしっかり意識した書き方ができるようになる必要があります。

 

c. 英語上級者

 では次に、英語上級者にはどんな学習が求められるのでしょうか。英語上級者に求められるのは、英語初級、および英語中級の段階で学んだ知識や習得した技量をきっちり維持しつつ、それらの全てを臨機応変に使い切るだけの習熟、そして実践的な練度が求められるのです。例えば、冠詞の使用についても、100%の正確性が求められます。自動的に正しい冠詞が使えなければ、もっと他のことに集中できないからです。冠詞は自動的に正しく使える状態になければ、議論している相手に、物事を頼んでいる相手に、こいつ大丈夫かと不信感を抱かれたり、馬鹿にされたり、軽蔑されたりします。英語とは万事そういうものなのです。関係代名詞の使い方から、接続詞の使い方から、前置詞の使い方まで、絶えず変わりゆく状況に合わせて、一瞬一瞬、それらが正しく使われているかが相手にチェックされます。少しでも違和感があれば、そこには疑問符がつけられ、英語力への信頼が揺らぎます。これが上級者に求められる英語力です。

 これに加えて、英語の上級者には何かの分野の精通しているか、少なくとも専門的な知識のあることが求められます。何百何千とある専門分野に同時に通じることはできません。しかし、何かを選んでどれか一つの分野に詳しくなることは可能です。自分の得意な分野、好きな分野について、多くの知識を持つことは好ましいことです。趣味が同じで話が弾むこともあれば、同じ専門分野の研究開発にチームが一丸となって取り組むこともあります。また、わざと異なる分野の専門家が集まって大きなミッションに取り組むこともあり得ます。

 英語上級者を待っているのはそういった知的交流の世界です。英語が上級であるということは、英語を学ぶ必要がもはやない状態、これからは専門分野での研究や議論に、互いに対等の立場で、持てる力の全てを尽くすことが求められている状態を指すのです。

 

 3.英語学習を続けることの意味

 このブログで取り上げた最初の問題に戻るなら、英語初心者と英語中級者を同時に教えることの意味はどこにあったのでしょうか。それは、英語初心者の学びと英語中級者の学びは、実は、地続きであり、英語中級者と言えども、絶えず英語の初心に帰って、基礎を固め直さなければ先へ進めない、ということを学習者それぞれに直感してもらえるように仕向けるところにあったのです。たとえば、go とcome の違いを覚えるとき、英語初心者は日本語で考えながら「訳語」を当てはめて、日本語で言えば go は「行く」で come は「来る」と覚えます。でも英語では、いつもそれだけの知識で間に合うとは限りません。例えば、「~さーん、すぐ来てくれませんか。」と誰かに頼まれた人が、「今行きまーす。」と答えたとします。日本語でならこの返事はごく普通です。しかし、go は「行く」、 come は「来る」と言うふうに、この二つの単語を日本語の訳語を当てはめることで覚えたつもりになっていては、とんでもない間違いを必ず起こします。「今行きまーす。」を I' going right away. と言って はいけません。ここは Coming!  と思い切り大きな声で答えるのが正しく、これが普通の英語です。この答えは、I'm coming to you right away. の意味で使われます。go はある場所から遠ざかるときに使います。Go home!は「とっとと帰れ!」と言う意味です。「ここはあなたの来るところではない。」と言う拒絶の意味で使われる言葉です。「ここ(=その都度理念的に共有される特定の場所)から離れていきなさい」と言う意味で go が使われたのです。これに対して、I'm coming. は「あなたのもとへ今すぐ参ります。」と言う意味です。ある特定の場所を基準にして、その場所から離れていくのが go で、逆に、その場所へ近づいていく行為のことを come と言うふうに覚える必要があります。このような知識は英語初級者に、比較的初期の段階で教えられます。なぜなら、 go もcome も基本語であることに変わりなく、初級者に教えなくて誰に教えるのか、と言うくらい日常的によく使われる易しい初歩的な言葉だからです。しかし、今述べたような区別は、日本語母語者には極めて分かりにくく、正しく使いこなすには、初めて自転車の乗り方を覚える場合のように、人知れず、何度も失敗しながら練習する必要があります。教師が英語の基本単語を教えるのは初級者にたいしてであっても、常に正しく使いこなせるところまで、その使い方に習熟するのは実は中級者の仕事です。なぜなら、日常的によく使われる基本的な英語の単語で、日本語と一対一で意味が対応している語は、数字や専門用語以外にはほとんど存在しないからです。大なり小なり、皆なにがしかの意味のずれや意味範囲の不一致があるのです。ですから、基本語を覚えると言っても、単語帳で単語を覚えるような具合に、英単語一に対して訳語一、というふうに覚えて英語がマスターできるほど、英語の語彙の学びは甘くありません。基本語については、多くの意味のずれをできるだけ多く拾い上げ、やがて、英語独特の意味を、その細かいニュアンスに至るまで、英語として、正しくとらえ返す骨の折れる作業が必要なのです。基本語の多様な意味に即応できるようになるまで、しかるべき修練を経たとき、学習者はすでに中級に達しており、そこから、その上を目指す上級者への道が開かれるのです。

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