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二種類の自由:freedmとliberty について

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二種類の自由:freedomとliberty について

二種類の自由:freedomとliberty について

2022/10/09

自由には二種類があるの?

freedomとliberty の違いについて

 1.liberty の意味

 自由民主党のことを英語では Liberal Democratic Party と言います。liberal は「自由な」という意味です。democratic は「「民主的な」という意味です。ですから、自由民主党とは自由で民主的な党ということになります。でも、 liberal とはどんな意味なのでしょうか。政治的に「リベラル」というと少し改革派的なイメージがあるようです。「古き良き伝統や習慣を重んじる、保守的な(conservative)」人々に対抗する「自由闊達で進歩的な、個人の権利をより重視する」人たち、という意味合いを表す言葉として使われます。アメリカの議会で言えば、バイデン大統領が率いる「民主党(Democratc Party)」は妊娠中絶の自由など、個人の権利を重視し、きめ細かい個人の選択や好みを擁護する、という意味においてリベラルであるのに対して、トランプ前大統領の所属する「共和党(Republican Party)」は、例えば、分厚い中間層をなしていた昔の中流家庭の衰退を嘆き、聖書の教えにより忠実であろうとし、加えて、古き良き伝統を重んじるところに特色があるとされています。学生や知識人など、より多くの自由を求める人達は民主党に、伝統や家庭を何よりも重視する人たちは共和党に一票を投じる傾向があります。

 ところで、アメリカに行った人は自分の乗った飛行機がニューヨークの市街地に近づいたとき、遠方に自由の女神の像が目に入ってくるはずです。女神は片手に高く「自由の灯」を掲げて、「自由の国アメリカへようこそ!」と言っているかのように見えるかもしれません。ところで、すでに多くの人が知っているように、この自由の女神は英語では the Statue of Liberty と言います。この像は、アメリカのイギリスからの独立100周年を記念して、1886年にフランスから送られたのです。つまり、それより100年前、長い間イギリスの植民地であったアメリカが、当時すでに強大になっていた大英帝国と戦い、自分たちを押さえつけていた母国の国家権力に勝利した日を祝って、同じく国民が王政をひっくり返して自由を勝ち取った歴史を持つフランスから、記念として送られたのです。ですからこの像は、自由と民主主義を標榜するアメリカ合衆国の誕生の歴史と深くかかわっているのです。女神像の乗っている大きな台座の足元には足かせと鎖があって、女神はそれらを踏みつけて立っているのですが、足かせと鎖は奴隷の身分を象徴します。女神像は、その身分から解放されたアメリカ国民の喜び、すなわち独立を勝ち取って自由の身になった国民の幸せを象徴するのです。

 こういうわけで、liberty という語は、単に「自由」である前に、「圧政や束縛からの自由」という含意を持つのです。同時にこれは、アメリカという新興国家の国家理念でもある民主主義とも深く関わりのある言葉です。ギリシャのデモクラシー、つまり、民主制度の歴史を紐解けば、奴隷ではない自由市民が共同で管理する政体、という意味のポリス、すなわち都市国家がその起源であることがわかります。都市国家を指導・制御し、切り盛りしていくのは自由市民であって、自由も権利もない奴隷ではない、ということがポイントです。奴隷は、所有の対象であり、自由市民にお金で買い取られ、買い取った人間に仕える立場の人間でした。ということは、逆に、自由市民も身分制度を前提とする存在であり、れっきとした一つの身分だったのです。今日、私たちは市民社会という言葉を日常的に使っています。私たちは何となくくすぐったい感じを持ちつつ、市民運動とか「~市の市民の皆様」などという言い方に、自分たちのことだという思いでつい反応してしまいます。ここでいう市民は、英語では citizen ですが、この語も、元来はギリシャの都市国家、すなわちポリスの自由市民のことを指しました。

 でも、私たち日本人には「自由な市民に与えられる権利」 、すなわち「市民権(citizenship)」が与えられていることを忘れがちです。私たちには、民衆として強大な国家権力と戦った経験がないからです。倒幕という、唯一成功した政治革命であった明治維新も、一般民衆が立ち上がった戦いであったわけではなく、薩摩や長州など、雄藩の下級武士が徳川政権と戦ったのでした。そして、明治維新は自由を求めて武士が戦ったのではなく、武家が持つに至っていた政権を再び天皇に返すことを大義としていました。徳川幕府最後の将軍であった慶喜の「大政奉還」はあまりにも有名ですね。維新とは王政復古を意味しました。ですから、革命の中身は徳川幕府による武家政治を排し、天皇を中心とする立憲君主制への移行を促すものでした。欧米先進国に倣って国会が開かれると、日本の針路は、国民の代表である議員が国会で審議して決める、という民主主義的な体制が確立しました。「万機公論に決すべし」という方針の提示は日本の政治にとって画期的でした。しかし、日本政府は、欧米の顰に倣って富国強兵策を追求していく中で、日清日露の戦いに勝利したあたりから、帝国主義的な領土拡大の夢を追い始め、益々軍国主義的になっていきました。満州への進出や日中戦争に足を取られている間に、米国との摩擦が大きくなり、暴発的に真珠湾攻撃に走り、太平洋戦争がはじまると、中国に加えて英米、さらにはオーストラリアまで敵に回して苦戦しました。やがて本土が空襲され、全国のめぼしい都市はほとんど焼け野原になり、東京大空襲では10万人もの死者がでました。戦争中は軍部がますます政治に介入し、強健な男子はすべて戦場に送られ、残された国民の生活は困難を極めました。

 戦後になって、外国であるアメリカから、制度としてのアメリカ流の徹底した民主主義が、学校教育を通して、また新憲法を通して、いやおうなしに生活の中に入ってきました。けれども、私たちにとって「自由」を基調とする民主主義は、身体にも心にも、今もって、もう一つしっくりこないのです。それは、自分たちが血を流して勝ち取った権利ではないからです。ですから、突き詰めていけば、おそらくキリスト教に根拠を持つと思われる、この「自由」という尊い権利を奪うものには命がけで戦いを挑む、というアメリカ合衆国の国民が持つ気概も、当事者意識も日本には存在しません。ただし、たとえ敗戦によってアメリカ合衆国から、断る権利もないまま、つまり奴隷状態において、連合国の占領下において、有無を言わさず、一方的に与えられた権利であっても、それが現在、私たち日本人が日本国内で行使できる重要な権利であることに変わりはありません。そして、人間宣言をされた天皇を国民統合の象徴とする新憲法の制定を起点に、日本の学校で行われた、アメリカ合衆国主導の戦後の民主主義教育のおかげで、市民権がどんなに素晴らしいものであるか、今では理念的にも感覚的にも、なんとなく分かったような気にさせられています。例えば、市民税を収める代わりに定期的なごみ収集、治安維持、救急医療など様々な行政サービスを受けられます。また投票権が与えられており、不正をした議員は、次の選挙で落選させることができます。

 ところで、忘れてならないのは、日本人が英語を学ぶということは、実はこういうことを付随的に学ぶこととイコールだということです。仮に、これが付随的に学べない英語学習があるとすれば、それはどこかに欠陥があり、不完全なのです。なぜなら、言葉にはその言語の歴史が刻まれており、また言語の歴史には社会の歴史が刻まれているからです。語源にさかのぼって英語を学べば、ヨーロッパの歴史を刻印している英語の精髄に通暁することにつながっていきます。

 例えば、自由市民と一対の言葉である「民主政治(民主主義的な政治)」は英語では democracy と言います。demo-はギリシャ語のdemos、すなわち「民衆(people)」」のことであり、cracy は -kratia すなわち「権力」「支配」のことです。ですから、民主政治とは民衆が支配する政治のことです。これに対して王侯貴族が支配権を握る社会は貴族社会で、「貴族政治(王侯貴族による政治)」のことを aristocracy と言いました。日本で言えば、平安時代までは天皇とそれを補佐する公家などの貴族が政治を行っていた政治体制に相当します。

2.freedom の意味

 これまでの議論から、liberty という言葉の中身が、「(主人に奉仕する)奴隷ではない身分」すなわち、「束縛からの自由=独立している状態」ということとイコールだということがわかってきました。ではもう一つの自由 freedom はどのような自由なのでしょうか。というのも、私たちは「言論の自由(freedom of speech )」を、何の留保もつけずに賛成します。でも、自らに問うてみましょう。「言論の自由というときの自由と、自由の女神というときの自由とは中身が違うのか、それとも同じなのか」と。なぜなら、freedom も liberty も普通「自由」と訳すことを私たちは知っています。ですから、freedom が何らかの自由を意味することは間違いありません。しかし、もし両者が完全に同じなら、どちらか一つに絞られ、他方は廃れていっていたはずです。なぜ現在も、「自由」を意味する二つの異なる語が、ほぼ同じくらい頻繁に使われるのでしょうか。考えられるのは、freedom と liberty は、どこかが微妙に違うということ、そして両者の棲み分けがなされているということです。ただ、この推測が正しいとしても、即答できるほどの目立った違いは見えてきません。皆さんはどのようにお考えでしょうか?

 私は次のように推理します。まず、liberty の意味をおさらいをしておくと、liberty は奴隷ではないこと、すなわち自由市民である、ということを意味しました。それは、絶対王政などの圧迫から解放された状態、言い換えれば、国家を含む、他者のいかなる理不尽な掣肘からも守られた、自由で恵まれた境涯にある、ということを証する言葉でした。確かに、奴隷という身分に所属する者には、投票権も、土地や物品の所有権もありませんでした。彼には旅行の自由、物品の売買の自由、余暇を自由に過ごす自由など、自由市民が持つどんな当たり前の権利もありませんでした。したがって、 freedom という語も、元来、奴隷にはほとんど縁のない言葉だったのかもしれません。逆に、freedom は 多分、勝ち取られた権利であるliberty の中に位置づけることができる語であり、中身もそれに近いと言えるでしょう。freedom はまた、自主独立、すなわち、 independence という言葉の中身を構成する要素の一つとして、含意されているかもしれません。ただ、残念ながら、日本語ではどちらも「自由」と訳しますから、日本語で考えている限り、両者の区別は不可能です。これは、日本語の訳に頼りすぎることの弊害を示す良い例です。そこで、英語では当たり前に行われている両者の使い分けを見ておきましょう。

 典型的な例で言えば freedom は、freedom of speech (「言論の自由」)というフレーズの中でよく使われる言葉です。ここにof speech (「言論の」)という限定語句がくっついているのが気になりますね。そういえば、liberty と違って、freedom はめったに単独では使われない印象があります。つまり、それだけだと坐りが悪く、不用意に使うと、大抵、「何の、あるいは、何からの、自由?」と相手に聞き返される可能性が高いのです。なぜなら、例えば、集会の自由は freedom of assembly と言い、結社の自由は freedom of association と言うからです。ほかにも信教の自由(freedom of religion )、職業選択の自由(freedom of choce in employment )などがあります。ですから、私には、freedomは人民が圧政者から一つ一つ獲得していった歴史的な戦利品としての「個別具体的自由」という意味合いが強いように思われます。「言論の自由」がなければ、個人は自分の意見が自由に言えないため、息が詰まりそうになります。また、結社の自由がなければ、個人の自由意思による参加で成立している数多くのNPO法人、財団法人、新聞、テレビ、ラジオなどのすべてが取り締まりの対象になることでしょう。例えば、今まで慣習的に制限されていたことを、憲法に照らして理不尽だと訴え、民事裁判にかけて勝利するとき、理不尽な特定の制限から私たちは一挙に解放されます。部分的ではあっても、そこには新たに獲得された新しい自由が存在します。これが個別具体的に取り上げられる freedom の中身だと考えてよいのではないでしょうか。圧政からの自由である liberty の中身が、歴史的に獲得されてきた個々の「自由」、すなわち、個別具体的な戦利品としての freedom を合算したもの、と考えれば辻褄が合います。

3.「法(law)」の支配と「自由(liberty)」との関係

 昔フランスのルイ14世は「朕は国家なり」と言ったそうですが、これはひとりの特定の個人、すなわち独裁者に、すべての国家権力が集中した状態を表しています。けれども、国法はギリシャやローマの時代から存在しました。では、なぜ国法がそれほどの権威を持っているのでしょうか。国法は万民に平等に適用されることが前提となっている法規だからです。法は決め事という意味では一種の規則(rule)ですが、規則よりも一般的で、高度に普遍性を帯びています。規則だと、及ぶ範囲が小規模ですが、法はまず現行法の問題点を国民を代表する議員が集まって協議し、その修正案なり、新法案などを、集団で国会に提出し、審議し、評決を経て成立するものです。つまり、法案は、ありとあらゆる事態を想定しつつ、念を入れて、慎重かつ厳重に審議されるので、重さが違います。特に、民法や刑法などの普通の法よりも上位に位置する「憲法(constitution)」は国の最高法規であり、国家としてのありよう、すなわち、国家の基本体質、もしくは国家としての品格を最もよく表す法体系です。近頃、日本でも憲法の一部改定の是非が取りざたされるようになりましたが、勿論、軽々に変更すべきでないことは誰でもよく理解しています。

 では、自由と法とはどんな関係にあるのでしょうか。油断しているとつい勘違いしがちですが、自由は実は「わがまま、勝手気まま」を意味しません。なぜなら、「自由な(liberal)」な国民国家は国民が主体ですから、もし、国民の一人一人が自由気ままにふるまったら、私たち国民の安心、安全は守られません。人の車などを勝手に使ってよい、ということになれば、確かにそれも自由かもしれませんが、明らかに行き過ぎた自由です。とても許容されません。人の財布やキャッシュカードを盗み、人の家に勝手に侵入し、気に入らない友人や知人を殺したら、勿論逮捕され、厳重に法で裁かれます。当然です。自分の身に置き換えて考えたら、そのような行為が全く許されないことは子供にでももわかります。

 ですから、自由には一定程度の制限が伴い、付随的に守らなければならない数々の規則が存在するということも十分理解できる話です。自由と義務、すなわち自由とそれに付随して遵守しなければならない諸規則とは、セットで存在するのです。これが法の意味なのです。自由の裏側には数々の義務が張り付いていることを、私たち日本人はどこまで深く理解しているでしょうか。私たちの住む社会が、私たちの安全と幸福を守るに足る健全な組織体、あるいは機構として存在するためには、様々な権利を行使する自由と、それを担保するために存在する諸規制が整合的に、バランスよく配置されていなくてはならないことを、しっかり認識したいものです。これが生活の隅々にまで行き渡っている国がいわゆる法治国家です。自由は、人の行動を縛る諸々の規則によってのみ完璧に守られ、確保されているという逆説を、この世を住みよい場所にするための道理としてきちんと理解しましょう。

 明治の昔に、liberty をどう訳すかで、西周、福沢諭吉など、錚々たる学者が頭を抱えて悩んだそうです。「自由」と訳すと、「自由気まま」「好き勝手」のことかと誤解されるのを恐れたのです。フランス革命に立ち上がった人たちは、国王を処刑すれば、後は自分たち人民の思うままになり、自分たちがすべてを上手く取り仕切ることができるはずだと将来を楽観視していたかもしれませんが、結果は悲惨なものでした。何でも自分たちの思いのままになる、という意味での自由の実現どころか、血で血を洗う危険、かつ不条理な抗争を生みました。ワーズワースなどは、革命の理想に浮かれてフランス入りはしたものの、悲惨な現実を目にして打ちひしがれ、トラウマを抱えて母国イギリスに逃げ帰りました。革命当時、フランスの人々は疑心暗鬼になりました。互いに相手を探り合う不信と密告と抗争が収まらない社会が待っていました。ロシア革命でも反革命を恐れて人々は疑心暗鬼になり、粛清と称する筆舌に尽くせない殺戮が大規模に発生しました。

 こうして彼らは、意図せずに、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。クーデターを起こして政権を手に入れた国民は、領土をめぐって、敵対する他国民との間の争いにのめりこみました。そして、やがて、徴兵を前提とする国家間の総力戦を仕掛けるようになりました。これが近代以降の戦争のスタイルです。総力戦の時代になると、国家としての力が常にものを言います。高度に機械化され、高度に統合された実践的軍事力だけでなく、経済力、工業力、国土の広さ、エネルギー資源の保有量、などが勝敗を分けます。

 では、パンドラの箱を閉める方法はないのでしょうか。ヒントは、いつか必ず永久に平和をもたらすはずの世界政府樹立構想です。仮にまだ実現していない人類の高度に完成された世界政府の高みから眺めるならば、これまで私たちが知っている戦争は、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、実は仲間同士の戦い、身内の争いに見えるはずです。「~の主権を回復するため」とか、「取られた領土を取り返すため」など、取ってつけたような大義名分が、開戦の口実に使われます。複数の国家間で、すさまじい情報戦が繰り広げられ、お互いに総力を挙げて騙し合います。戦争は結果がすべてです。勝てば官軍なのです。騙された方が悪いのだ、という論理がまかり通り、歴史が書き換えられます。それが繰り返された結果が、現在の不安定な、危なっかしい世界情勢なのです。

 「自由」には「支障がない」とか「制限がない」という語感が伴います。ですから、抑圧からの解放感にいざなわれて、誰でもつい羽目を外しがちです。この時必要なのは自制です。自己抑制機能を働かせる必要があるのです。自分の判断で発揮できる「節度(temperance)」を養っておくことが必要です。本格的な節度を身に着けるには、年少のころに課される一定の鍛錬が必要です。特に組織の長など、人の上に立つ者ほど、この鍛錬が求められます。

 そして、紛糾した国家間の争いをなくすには、国家元首同士の間に全幅の信頼が醸成されなければなりません。そこに至るには、各国の国民がそれぞれ真実を言い、真実に基づく行動に出ることが求められます。人を騙すのではなく、真実を言うためには、大変な訓練と勇気が必要です。付和雷同的な忖度は許されません。しかも真実を見極めるのは極めて難しく、大変な努力が必要です。日ごろの鍛錬と真摯な学びだけが、それを保証します。でも、国民の弛まぬ努力が積み重なれば、それは確実に国力を生み、国家間の信頼を醸成します。そこを目指した草の根の学び、草の根の協力だけが真に私たちの世界を変えます。

 

  

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