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冠詞のツボ

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なぜ冠詞は難しいか

冠詞の正しい使い方

2021/02/08

なぜ冠詞は難しいか?

冠詞は名詞への加工情報である

もう三十年余り前、文部科学省の派遣する在外研究員として、10か月ほどイギリスのシェイクスピア研究所に滞在していた時のことです。あるとき、そこの副所長さんが私をつかまえて単刀直入に、「日本人学生はなぜ冠詞の使い方がでたらめなんですか?」と尋ねました。私は一瞬虚を突かれて、ハッとしました。その時は、「さあ、なぜでしょう。」と苦笑いをしながら、あいまいな答えしかできませんでした。しかし、心の中はかなり複雑な思いがよぎりました。一つには、自分も冠詞を不用意に使っていないだろうか、という反省を促されたのと、もう一つは、日本人は冠詞の厳密な使い方にこだわらない傾向があるかもしれないとおもいました。

この研究所は、シェイクスピアを学ぶものにとって、ケンブリッジ大学と並ぶ最高峰の教育機関とされていたこともあり、これまで毎年1~2名の日本人留学生を受け入れてきた実績がありました。10月から始まる修士課程の1年生のための授業を、5人の先生が月曜日から金曜日まで、入れ代わり立ち代わり4か月ほど授業をされ、後期は7月まで論文指導が行われていました。そのとき、日本人に限って、冠詞のミスが目立つので、副所長さんとしてはその原因は何なのか、誰か知っている人がいたら聞きたいと思っておられたのだと思います。

その答えは実に簡単です。日本語には冠詞というものが存在しないからです。ただし、存在しないと言えば、他にもたくさんあります。関係代名詞も、前置詞も、仮定法も、分詞構文も、助動詞も、進行形も、完了形も、日本語には存在しません。これだけでは、日本人学生に多く見られる冠詞の間違いの説明がつきません。

私の見るところ、もう一つ原因があります。それは、日本語には名詞の複数形が存在しないことです。日本語では「五本の鉛筆」「十台の車」「百軒の家」などと、数を特定する数詞の他に、「本」「台」「軒」など、対象ごとに振り分けて使われる、一種の分類名がくっついてきます。日本語を学ぼうとする外国人には、その使い分けを覚えるのがきっと難しいはずです。逆に英語では、まず第一に、数えられる名詞と数えられない名詞の区別が要求されます。数えられない名詞、たとえば、water とか sand などは、通常、冠詞が付きません。日本人にはこの区別が結構難しいうえに、数えられる名詞、例えば book の場合,three books のように、数詞 three の後の普通名詞 book に、複数を意味する"s" を付けます。そして、複数形の名詞には、通常、冠詞を使いません。

一方、日本語には名詞自体の複数形はなく、日本人は、頭の中では複数であることを意識していても、数字に言及する必要がないときには、そのまま名詞のみを使っても、何ら問題はありません。例えば、「この図書館で本を借りる方は・・・」という注意書きがあったとしますと、ひとりの人が一度に借りる「本」の冊数が単数なのか、それとも複数なのかということは、英語では枢要な問題とされ、きっぱり明示する必要がありますが、日本語では漠然としたイメージのまま放置します。これが日本人にとってはごく当たり前であり、心性にも合っているのです。では、英語ではどうでしょうか。もし不定冠詞を使って、"When you borrow a book..." と言えば、どの本を借りてもよいが、借りられるのは一冊、ということが決まっていることになります。文法的には正しくても、現実にはそのようなことはありません。たいていの図書館は、一人が一度に一冊ではなく、5 冊までとか、10冊までとか、複数の本が借りられるようになっているからです。次に定冠詞を使って、"When you borrow the book..." と言えば、ある特定の一冊の本を借りる場合に限られるだけでなく、それがすでに周知の本である場合に限った言い方になります。一般に、図書館の本の借用規則を述べる文であれば、"When you borrow books..." とするのが普通です。

先ほど少し触れましたが、名詞には、通常は冠詞のつかない物質名詞というものが存在します。例えば、"Humans need water and oxygen to survive." と言えば、人間が生きてゆくためには水と酸素が必要です、という意味です。水も酸素も、一個、二個と数えることはできません。でも私たちの周りにあることは間違いありません。こういうものを物質名詞と呼ぶのです。ほかに抽象名詞と呼ばれるものがあり、これも一つ二つと数えられるわけではありませんから、冠詞は付きません。ほかに冠詞がつかないものとしては、固有名詞があります。人名、地名、国名など、固有の名称は冠詞が付きません。London, New York, Tokyo, Gifu など、固有の名前には冠詞は付きません。しかし、The United States of America のように、国名の一部に普通名詞が含まれている場合には the が付きます。他方、不定冠詞の "a" は、もともとone だった、という説があります。one は不定代名詞の他に、数詞としてもつかわれる語です。日本語の「一」に相当します。さて、この説が正しいとすると、"a" は数えられる名詞の場合、しかもその数が「一」の場合にしか使えない理由が納得できます。

ところで、” No one can survive a month by the water in a plastic bottle." と言えば、「ペットボトル一杯の量の水で一か月生き延びるのは無理だ。」という意味になります。この場合の水は「ペットボトル一杯」という風に定量化されています。このように、何らかの方法で、その量が厳密に特定されているとき、水なら水は、「一定の基準まで」特定性が高められた、と判断されます。このようなときには、それが物質名詞であっても、定冠詞 "the" が付きます。"In an emrgency, a litte water in a plastic bottle could save your life." と言えば、「何らかの緊急事態が発生したとき、ペットボトル(一本の中)のわずかな水でも人の命を救うことがあり得ます。」という意味を伝えます。英語の a little (=「わずかな」)という形容語句は、限定する度合いが少なく、一定の曖昧さを残していますが、そのままでは無限定である物質名詞 water に、「ペットボトル(一本の中)の」という具体的な限定語句が伴うことによって、この文を読む人の頭の中に、なにがしか具体的で定量的なイメージを喚起することはできます。すると無冠詞のはずの「水」が、不定冠詞の使用を許す程度に、限定性が付与され、その分だけ「半特定化」するのです。たとえて言えば半熟卵のようになるのです。流動性を内に含みつつ、外側は固形化するのです。このように、条件や環境のわずかな変化に対応して冠詞が変わり、冠詞がその変化を人に認識させる指標となります。そして変化が、人の命を左右するときでさえ、冠詞のオプションを、無冠詞を含めて、きちんと正しく使い分けることで、事態を極めて正確に、また十分な信頼性を担保しつつ、伝え切ることが可能になります。しかし、そもそも、冠詞ひとつ付けるかつけないかで、人に伝わるイメージが180度変わりうる、などということを、どれだけの数の日本人が、これまできちんと教えられてきたでしょうか。

さて、冠詞の難しさはこれだけにとどまりません。日本人がつい無頓着になりがちなもう一つの規則があります。すなわち、一度言及された普通名詞は、それほど間を置かずに、再度言及されるとき、あるいは何度も言及されるときは、必ず定冠詞 the を、その名詞の頭につけるという規則です。文脈から、同じ人、もしくは同一のもの、を指していると明瞭に理解可能な場合、話し手もしくは書き手と、聞き手もしくは読み手との間に、ある知識が共有された、との認識が生まれるからです。定冠詞の"the" は"that" から来ているとする説があります。要するに「あれだよ、ほら、あれ」という共通理解が成り立つとき、「あれ」の代わりに"the" と言うと考えればよいのです。月や太陽がいきなり"the” をつけて書かれたり言われたりするのも同じ理由からです。「月がきれいだね。」と言ったとき、「どの月のことを言ってるの?」と聞いてくる人はいません。

まとめて言えば、冠詞にはそれを使う理由、あるいは使わない理由が、必ずあるということです。英語のネイティブスピーカーは極めて慎重に冠詞を選びます。間違った情報を人に伝えることの危険性を、骨身にしみて知っているからです。裏を返せば、冠詞は必ず何らかの重要な情報を伝える、ということです。冠詞に無関心な学習者は、聞き手や読み手に、自分が意図しない情報を常に相手に伝え続けることになる、という恐ろしい危険性に目覚める必要があります。冠詞など間違っていても、およそのことは通じるから大丈夫だ、という人もいるかもしれません。でも、事実は違います。なぜなら、不正確極まりない冠詞の使い方しかできない人は、それをマスターしている人から無学の烙印を押されます。口をきくたびに人をミスリードし、信用を失い、人から避けられ、嫌われることになりかねません。何と言っても、冠詞は実は、英文法の重要な一角を占めているのです。「たかが冠詞、されど冠詞」の世界があるのです。

ネイティブスピーカーでも、冠詞の微妙な使い分けに迷うこともある、と聞いたことがあります。前置詞もそうですが、冠詞も、正しく使いこなすのは、実は至難の業なのです。新聞のタイトルではわざと冠詞が省略されることもあります。ネイティブたちは、時と場合で微妙に、そして精妙に、また慣例的にしたがって、そして幾分かは恣意的に、けれども全く便利に、使い分けているのです。こういうわけで、冠詞の使い方には、一定程度、個人の人格や癖が出てもおかしくはないのですが、間違いは許されません。

勿論、最初から冠詞を完璧に使いこなす人はいません。だれでも間違えます。それも盛大に、かつ大量に間違えます。名詞の数はほとんど無数にあり、その一つ一つについて、"a"、"an" 、"the" 、無冠詞、の四択の中から、どれか一つを10分の一秒で選び、しかも百発百中の人、などめったやたらにいるものではありません。でも、ネイティブは、赤ん坊の時から徹底的に間違いを直されます。両親や兄弟や親せきが許さないからです。何万時間という猛特訓の末に、ついにそれができるようになります。でも、日本人でも、いくつかの基本原則を学び、練習問題を解き、段階を踏んで英文から学び続ければ、数年のうちに冠詞で不利益をこうむることはほぼなくなります。ただ、一定の訓練は必要です。

もしこの際、冠詞を基本から学びなおしたい、と思われた方は、弊社のオンライン英語講座「EasySpeak English」の初級英語コースの受講をお勧めします。この講座は、本年4月以降、装いも新たに開講させていただきますのでよろしくお願いいたします。また、受講に関するお問い合わせはいつでも電話やメールで受けつけております。

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