代名詞の構造

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代名詞の構造

代名詞の構造

2021/01/30

代名詞の気になる性質

分類できる代名詞の世界

代名詞は誰でもよく知っている文法用語です。自分のことを英語では"I" と言い,相手のことを"you" と言い、第三者のことを"he" 若しくは"she" と言うと、中学の時に習います。人間以外のものは、 "it" と言い、品物や身近な動物や植物など、私たちが「あれ」とか「これ」と指さすものは、 "this" とか "that" と言う、と習ったはずです。言われてみれば非常に単純なことですが、英語の代名詞はこのように、世界を見事に仕分けし、整理して私たちに提示します。(これらの代名詞は、紹介した順番に、人称代名詞、非人称代名詞、指示代名詞という下位の呼称を持っています。)その結果、英語の世界に入ると急に頭の中が整理され、世界がきちんと秩序だって見えてきます。

英語にはまた疑問代名詞と呼ばれるものまであって、例えば、"who" は人に関する質問をするときに使い、"what" は人以外の物事に関して質問するときに使います。"who" は"Who is it?" (「どちら様ですか?」)とか、"Whose novel do you like most?" (「誰の小説が一番の好きですか?」)とか、" Whom do you want me to do it for?" (「君ね、誰のためにそれを僕にやらせたいの?」)などと格変化しますが、"what" はこのまま変化せず、主格にも目的格にも使えます。選択するときには、"which" という代名詞を使います。 "Which do you recommend?" (「君ならどちらを推薦しますか?」)とか、 "Which do you think better suits me ?" (「どちらのほうが私によく似合うと思う?」)などと使います。誰もがよく知っている関係代名詞も代名詞の仲間です。あるいは不定代名詞という名の代名詞まであります。また、any は形容詞としても、代名詞としても使われます。このように代名詞のすそ野はかなり広いことが分かります。

日本語の文法では代名詞という名称は、無理に使おうとすると何となくおさまりが悪いはずです。英語の代名詞に匹敵する固定語が存在しないからです。例えば、指示代名詞のひとつ"which" に対応する語を探すと、「どちら」「どれ」「どっち」などと、状況で使い分けられる変化形が多く、決まった対応語があるわではありません。"I" の訳語候補は二、三にとどまりません。「わたし」「俺」「僕」「おいら」「私」「手前」「それがし」「拙者」「「見ども」「自分」「あたい」「あたし」などが考えられます。"you" の場合はどうでしょうか。「君」「あなた」「お前」「あんた」「あんさん」「貴様」「てめえ」「そこもと」」「貴殿」などと候補が多く、これまたいずれとも一つに決めがたいのです。そればかりか、男性専用の言葉も、女性専用の言葉もあります。人と会話をしていて、英語なら代名詞を使うところを、相手の社会的地位や役職で呼ぶ例もあります。「社長」「大将」「課長」「部長」「専務」「総理」「先生」など。また、身分や職業も代用されます。「奥様」「ご主人」「亭主」「名主様」「お武家様」「お坊様」など。これらの代名詞もどきは、時代や社会を映す鏡にもなっているのがわかります。総じて代名詞は、日本語では一定ではなく、相手の身分や職業、また自分の立場や職業、そこに込めたい気持ちなどによって、その場にふさわしい語が、その場で選ばれて、半ば即興的に使われます。そして、これは決して異常ではありません。むしろ、これこそが日本のノーマル(標準、正常)なのです。日本という文化の内部では、何よりもまず社会が、言い換えれば「世間」が、日本の言語空間を仕切っています。従って、日本人はだれ一人、「世間」を外れて生きていくことはできないのです。

このように見てくると、日本語と日本の社会が、実はぴったり重なるということが分かります。日本語も「世間」も、日本人にとっては、自己の無意識にまで根を下ろした、神聖にして犯すべからざる聖域なのです。もっとも、すべての言語、また、その言語が日々使われる世界は、その世界の住人にとって、同じように一個の聖域を形成していました。これが文化なるものの実態です。したがって、英語には英語の文化があり、日本語には日本の文化が詰まっています。

問題は、日本人が、日本語とは異なる言語を学ぶときに起こります。例えば、発音ひとつとってみても、日本語の「あ」に相当する英語の発音は、日本の書店で買い求めることのできる普通の英和辞典に採用されている発音記号で、五つにはっきり区別されています。特に発音が難しいのは、曖昧母音と呼ばれる「あ」の音です。また、hurt とheart に含まれる母音の違いや、hat とhut に含まれる母音の違いなども、相当、継続的努力を積み重ね、正しい口の筋肉の動かし方を身につけなければ、無意識に、自動的に口をついて出てくるまでには至りません。その都度考えて発音したり、迷ったりしていては、そもそも神経が持ちません。それではお話にならず、会話も会話になりません。これが現実です。なぜなら、問題は「あ」だけではなく、「い」も「う」も「お」も二重に使い分けられており、そのほかに二重母音、三重母音まであるからです。単独子音で終わる無数の英単語の正しい発音も、それらの子音だけを取り出した独自の特訓メニューをきちんとこなしきった人だけが、聞き返されることなく、普通に通用するレベルに到達できるのです。

英語の代名詞も、実は英語という言語の巨大な文法体系を構成する一要素に過ぎません。日本語の場合は代名詞という感覚はなく、「これ」「こちら」など、話者から見てその近辺にあるものを指し示す指示代名詞的な語や、人間関係を再確認するような使い方、たとえば「殿」「殿下」「陛下」「猊下」「先生」「先輩」「奥様」「ご主人」など社会的に尊敬すべき身分の人、あるいは指導的立場にある人などに対する敬語的用法がある一方、中間には、「君」「お前」「貴様」など、ごく親しい間柄を示す呼び方、そして最後に、「てめえ」「おのれ」など、半ばけんか腰の呼び方まで揃っていて、これらの事実を俯瞰的に見れば、総じて日本の縦社会を象徴する呼称体系ができ上がっていることに、今更のように気付かされます。そして、日本語における代名詞的な使い方の特色を洗っていくと、その多くは普通名詞に由来することに気付きます。また、職業や身分にかかわる呼称や用法の多さは、それらが人間関係の網の目を視覚化する働きを持つことの傍証になります。そして、裏を返せば、日本語には完全に平等で、完璧に抽象化された呼称の体系は一切存在しないということです。

ところが英語には、平等主義的、客観的、無機質的、機能的という特質を備えた堂々たる代名詞の体系が存在します。しかも、それ以外、どこにも代名詞は存在しません。Mr. President などはあくまでも呼称であって、敬意を表明するために話しかける際に、二、三度使うことはあっても,後はすべてyou で通すのが流儀です。これによって不敬のそしりを受けることはあり得ません。代名詞ごときで何を大げさな、とお考えの方がもしいらっしゃったら、この際、認識をお改めください。代名詞はきちんと正しく、必要なときに省くことなく使われたとき、初めてその機能が十全に果されます。学校英語や受験英語では、それらしき「訳語」とセットで説明されます。ですから、「何だ、それだけか。」で終わってしまいます。拍子抜けするくらい簡単だという錯覚に陥るのです。しかし、代名詞に対応する標準的な日本語訳を覚えることと、実際に数々の代名詞が日常レベルで使えることとは全く違います。例えば、単身英語圏を旅し、英語で生き抜くしかない状況に置かれたとき、代名詞をマスターしているのと、そうでないのとでは、実際の会話の場面では天と地ほどの違いを生み出します。特に強調構文、時間や季節や天候のit 、漠然と状況を指すit など、 it の特別用法と総称されるものまで含めて、 it をこまめに、そして自由闊達に使いこなせるすレベルにまで達したとき、総体としての代名詞のとてつもない便利さと同時に、その計り知れない奥深さにも気づくことができます。オンライ英語講座「EasySpeak English」の「初級英語」では、日本人の苦手な前置詞や冠詞とともに、代名詞についても、その基礎・基本をしっかり学んでいただけます。ご期待ください。

 

 

 

 

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