文連結の二大のベクトル

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文連結の二大ベクトル

文連結の二大ベクトル

2021/01/11

文を連結する意味

人をより良く説得する手段としての文の連結

言葉は実に便利に使われるものです。日常の会話はもとより、主婦の買い物メモから、日記を書いたり、友人にメールを送ったりするだけでなく、世界中のあらゆる年齢層の人が、あらゆる社会生活の場面で言葉を使います。言葉は、交通や貿易、教育や医療など人間の日々の活動のすべてを支える基本ツールとして、意志疎通、情報収集・保管などのために使われます。会社が顧客に請求書を送って入金を催促すること、国会が法案を作って審議すること、学者が本を読み、実験をして結果を論文にまとめることなど、あらゆるコミュニケーションの場面で、言葉は必要不可欠であり、有意味、かつ正しい言葉の使用がすべての前提になっています。このことを、言語一般の働きとしてまとめるなら、地球上のどの国や地域でも、異なる文化の中で育まれた、互いに他と異なる言語が、話し言葉や書き言葉となって、不断に人々を支え、地球規模で人々の生活を成り立たせているのです。

しかし、外国語として英語を学習する日本人が、決して忘れてならない大切なことが一つあります。それは、言葉は個々の単語である前に、「文」として使われる、ということです。個々の単語の学習は一つの基本作業でなければなりませんが、言語そのものの学びは、むしろ、「文」を重要な手掛かりとして行われるべきなのです。なぜなら、人間の意志疎通、すなわちコミュニケーションにおいては、単語よりもむしろ「文」に、比重が置かれているからです。言葉をコミュニケーションの道具として使いこなすには、第一の目標として、文の内部構造を理解するプロセスが、どうしても必要なのです。

繰り返しになりますが、単語の知識は勿論基本的に重要です。例えば、千語以上の基本英単語を知らなければ、文を「文」と認識するための基礎がそもそも整いません。しかし、逆に、記憶にあるいくつかの単語を、順番を忘れて、ただ単に並べるだけでは、たまにまぐれで役立つことはあっても、英語圏での日常生活に必要なレベルで英語を使いこなすことは到底できません。「文」を熟知していなければ、電話一本かけることも、メール一通書くこともできません。言語を使ったコミュニケーションは、基本的に、「文」において始まると言っても、まず間違いはありません。

では、何と何が揃えば、英語において、文は「文」になるのでしょうか。そして、「文」が成立するとき、そこに何が起こっていて、「文」はどのような役割、あるいは使命を果たすのでしょうか。学習者は、少なくともその概要を、まずは理解しておく必要があります。そしてその答えは、文の機能と、文の有用性という二つの観点から導きだすことができます。

まず、「文」の有用性は、文が成立することで初めて可能になる、コミュニケーション一般にあります。すなわち、二人、もしくはそれ以上の人間の間に、何事か意味のある情報なり、メッセージなりが、双方向で正しく伝達され、共有されることが、言語によるコミュニケーションの中身であるとすれば、そこにこそ、言葉を使うことの有用性が見て取れます。

次に、「文」の機能ですが、それはパターン化して示すことができます。文が文として機能する仕方は二通りあって、記号で表せば、A=B とA does B の二つで表すことができます。これを、いわゆる五文型でいえば、第一文型と第二文型が前者に属し、第三文型と四文型と第五文型が後者に属します。二つの機能を分かつのは、文の動詞であり、前者は自動詞、後者は他動詞がその役割を担います。では、自動詞と他動詞はどのように区別すればよいのでしょうか。それは、自動詞は自足的な内容に言及するのに対して、他動詞は何らかの運動や動作、また心の思いの及ぶ対象が必要です。すなわち矢が的を射るように、想念や認識を含めて、行為や運動、操作など、共有可能なイメージの受け皿としての動詞が持つ何らかのエネルギーの発出を、真正面から受けとめると想定される対象が必要です。例えば、Don't forget to take your umbrella with you. は「傘を持っていくことを忘れないように。」という意味ですが、「忘れないようにする」という行動、すなわち怠るべからざる注意の対象は、「傘を持っていくこと」です。to 以下が示す一個の行為の想念、すなわち「傘を持っていくこと」は、文の動詞 forget が示す「忘れる」という行為の対象であることを認知する、という意味で、英文法ではobject (日本語では「目的語」)と呼びます。この時、他動詞の「他」は、主語から見ての他(人)であり、自分以外の他の誰か、もしくは外在的な何か、を指します。

ところで、A=B は、I am a taxi driver. のように、「私」(=I)=「タクシーの運転手」の等式が成り立つ、他の多くの文を代表する一般式ですが、ここでは、それに加えて、他の自動詞、すなわち、主題であるA の自足的運動、移動、継続、変化、また何らかの価値や特性への言及、さらには、ある時ある場所に存在すること、などの断言もしくは確定に使われる文をも表すものとします。例えば、He ran for his life. は「彼は命がけで走っ(て逃げ)た。」のであり、その「走る」という動きは「他」に影響を及ぼしません。その意味で自足的と言えるのです。She lives in Tokyo. も同様に考えることができます。彼女は東京に「住んでいる」のであって、その行為は特に誰にも、あるいは何にも、これといった影響を与えてはいません。また、He is a doctor. は彼は「医者」である、と言ってるのであり、そのことが誰かに、あるいは何かに、これといった影響を与えてはいません。これらは、主語+自動詞、もしくは主語+自動詞+補語、で表される「文」の構造を持ち、A がB すること、もしくはA が B に等しいという、何らかの理解可能なメッセージを人に伝えることができるのです。

ところで、「文」にはもう一つの重要な局面があります。すなわち、実際問題として、文はめったに単独行動をとらず、むしろ戦略的にいくつかの「文」を展開し、一段一段と、段階を上るように、人を説得しようとします。このことも、英語の学習者が決して忘れてはならない基本事項です。例えば、誰かから電話があった場合を考えてみましょう。電話は、めったに単独の文で終わることはありません。電話は大抵いくつかの文からなっており、内容もしばしば複雑です。この事実は、書かれた言葉の場合を考えればもっとよくわかります。例えば、注意事項や手順が羅列してある電化製品、例えば電話機の「取扱説明書」の類から、新聞記事やエッセイ、小説、あるいは論文に至るまで、書かれた文章に含まれる何十、何百、あるいは何千という膨大な数の文の集合は、一つの例外もなく連携して読者を攻め、戦略的に人を説得しようとします。

このように、文集合は一般に、人をその気にさせるなど、ある目的のために、情報や知識を人に伝えます。そのとき、それらを正しく伝えるためには、多くの注意事項の必要な場合があります。例えば、剣道、柔道、卓球など、どんな競技でも、選手が厳しい訓練を経る過程で、当該競技の監督が伝える、多くのしてはいけない事柄と、必ずしなければならないことがあります。ですから、それを 伝えるには、「しかしながら」「他方で」「~にもかかわらず」「それ故」「ところで」「もし~ならば」「たとえ~だとしても」などの接続詞に助けられながら、一つ一つは比較的短い文であっても、順を追って、一つずつ丁寧に述べ伝え、紆余曲折を伴う議論の筋道をたどって、選手が決して迷わないように導いていかなければなりません。このように何十、何百とつながる精妙な論理集合を、過誤なく紡ぎ続けるためには、文の精密周到な連携がなくてはなりません。文は他の幾つもの文と連携して始めて、人を説得するのです。ですからこの局面は、文の「開かれたベクトル」と名付けることができます。

これに対して、もう一つの文のベクトルが存在します。それは、一文の中を、意図的に、句や節、分詞構文、同格表現などで満たし、膨れ上がらせ、あくまでも五文型の一個であり続けながら、いわば垂直に、多くの文を次々に折りたたむ方向、すなわち複数の文が、水平に広がるのではなく、内向きに中身を豊かにしてゆく、内向的ベクトルも存在します。英語学習者は、これらの両方向の文のベクトルに目配りを怠らず、バランスを保ちつつ、いずれの用法にも習熟していかなければなりません。

この意味で、英語学習者は、一文(sentence)レベルの文法に通じると同時に、文章 (passage)レベル 、もしくは段落 (paragraph)レベルの文の使い方にも、注意を怠ることなく、十分な経験を積み、論旨や文脈に強くならなければんりません。英語の初級や中級を順調にマスターし、上級へと進んでいくためには、学習者は、これらのプロセスを、良き指導者の優れた案内の下で、時間をかけて、丁寧に学ぶ必要があります。

 

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