文中に文を吸収することの意味について

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文中に文を吸収することの意味について

文中に文を吸収することの意味について

2021/01/08

文中に文を取り込むメリット

to不定詞の活躍

文中に文を取り込む方法はいくつかある。例えば、and や but などの等位接続詞によって二つの文をつなぐと重文になる。また、 関係代名詞や関係副詞によって二つの文を連結すれば、複文が出来上がる。ほかにも、that 節を使って文をつなぐこともある。これらの方法に特徴的なのは、二つの文の存在が見た目に明らかなことである。また、状況に応じて使い分けられるいくつかの接続の言葉が、その都度符丁のようについて回るので、文全体の意味は常に明瞭で、わかりにくいところは何もない。

けれども、そのようなわかりやすい目印を持たない文の中にも、実は二つ、あるいはそれ以上の文がそれと気付かれにくい形で文中に取り込まれている例も実は多い。それらの文は、初心者にはすぐには理解できないものもある。例えば、Would you mind my smoking here? は、「私はここでタバコを吸う」という文と、「すると、あなたはそのことを気にしますか」という二つの文が合体した文である。もう少し分かりやすく言い換えれば、Would you mind if I smoke here? となる。しかし、条件を示すif という接続詞は使われておらず、しかも仮定法過去が使われているため、余計にわかりずらい。このように、一見したところ二つの文の合成だとは気づかれない自然な形をしている文は意外と多いのである。例えば、I want you to be quiet. は、「あなたは静かにしている。」「私はあなたにそのことを望む。」の二つの文の合成だが、これも、合成の跡をほとんど留めていない。I want to go shopping. とあまり変わらない姿をしているからである。

To see is to believe. も一見したところ、二つの文の合成には見えない。これは日本語で言えば、「百聞は一見に如かず。」に相当することわざである。実際は、「あなたはそれを見る」「そうすれば、あなたはそれを信じるようになる。」という二つの文の合成である。To see her was to love her. も同じように二つの文の合成である。「(誰かが)彼女を見る」ことと、「(誰かが)彼女を好きになる」こととはイコールであった、すなわち、「誰でも、一目見れば彼女を好きになった。」の意味なのである。He left his home never to return. でもto不定詞が、「彼は家を出た。そして二度と帰ってはこなかった。」という意味であり、彼」の運命的な家出について、二段構えで雄弁に伝える文なのである。

ハムレットの第三独白の冒頭部の To be or not to be, that is the question. も実は三つの文の合成である。「私は(この世に)存在する(ことになる)のか」「それとも私は(この世に)存在しない(ことになる)のか」「そのことが私にとって(答えを知りたい、あるいは決断のつかない)問題である」と分解できる。ただし、「私は(この世に)存在すべきなのか(=生き続けるべきなのか)」「それとも私は(この世に)存在すべきではない(=死んでしまうべきなのか)」「それが私にとって(究極の決断を迫る)問題なのだ。」と解釈するか、それとも、「「私は結局(あの世で)生きながらえるのか」「それとも私は(あの世で)生きながらえることはないのか」「それが(この世の人間には知りえないゆえに)わたくしにとって(この世における私の行動の選択を迷わせ続ける)問題なのだ」と解釈するかは、それこそ観客一人一人の選択に任せられている。

何とも欲張った使い方をした to不定詞であることがわかる。ここでは、to不定詞の中のbe動詞がまだ主語さえはっきりしない形で使われている。したがって、主語の選択いかんでは、まだまだいろいろな解釈が可能であるはずである。いろいろな説を許容するには、それなりの理由があるはずであって、評者はドラマのコンテクストの他に、このbe動詞の不定形に特有の、カオス的な言語構造に着目しなければならない。批評家泣かせとも言えるが、別の言い方をすれば、主人公をめぐる状況のすべてを吸収してしまうほどに、演劇的含蓄の深い、衝撃の一文の生成に使われていることには、一点の疑問の余地もない。

 

 

 

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