補語って何ですか?

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補語って何ですか?

補語って何ですか?

2020/12/18

補語って何ですか?

共有されるべき存在の秘密

自分としては、動詞に自動詞と他動詞の区別があること、他動詞にとっては目的語が必要であることも納得している。しかし、英文法で「補語」と呼ばれるものの用法や意味が今一つはっきりしない、と感じている人がいるかもしれない。私自身、補語については分かったものとして、特に詳しく調べたことも、深く考えたこともない。でも、ひょっとしたら補語って結構面白いかもしれない、と感じ始めている。では、分かりそうでわからない感じのする補語について、何を手掛かりにすればよいのだろうか。誰でも思いつくのは、補語が登場する文型は、第二文型と第五文型だ、と言うことである。

主格補語と目的格補語の違いから何かが見えてくるかもしれないが、補語を理解するには、まず、主語の性質をしっかり理解しておく必要があることは自明である。なぜなら、補語は主語に対しての補語だからである。さらに、目的格補語も、文の動詞の目的語について、何事かを補う語句、すなわち補語のことであって、文の目的語とそのすぐ後の語との間に、主語+補語の関係が生じているからである。主語は一般に、この世に存在すると認められたものを指す。補語は英語では complement と言って、語源的には complete と言う動詞からきており、 complete は「何かを満杯にする、満たす」と言う意味である。では、補語は何を満たすのか。もちろん主語を満たすのである。となると、主語はあるとき、誰かの判断によって「ある存在者に、何かが欠けている」とされるのでなければならない。そのようなときにのみ、補語が必要になってくるのである。

しかし、そうだとすると、そもそも主語に何かが欠けていると、だれがどうやって判断するのか。(他の文型では主語に欠けているところがないと判断されているはずだが、それはなぜか、と言うことも副次的に説明されなければならない。)すでに分かっていることを整理すれば、まず、補語は主語に欠けているものであり、それらは語や句や節の形をとりうるということだ。主語は、前提条件として、その〈世界内存在性〉が認められていなければならない。つまり、主語はこの世に存在するものでなければならない。より正確に言えば、主語はそれが世界内存在であると、英語の母語話者たちによって、認められたものでなければならない。すなわち、主語は、英語話者たちがその存在を認める、人や物や現象や数や図形や抽象概念も含む、無限に多くの「存在者たち」一般でなければならない。

では、その主語に欠けているものがあるとは、一体どういうことなのか。"This is a pen."というとき、人は何を言っているのであろうか。そのとき、a pen とはどのような働きをしているのであろうか。まず、a pen は鵞ペン、万年筆、ボールペンなどを指す語である。近くで見れば、それは一目でペンとわかるものであるはずで、それをわざわざ「これはペンです。」と言うからには、それを言わせる何かがまずあったと考えられる。つまり、何かがそこに存在することは確かだが、それが筆なのか木片なのかナイフなのかよくわからない状態のとき、誰かが「それはペンです」と正確な情報を伝える必要があったと考えられる。あるいは英語を知らない人に、これは英語では pen ですよ、と教える必要があったのかもしれない。つまりあるものの正体が不明の時、確認の後、それはペンだと誰かが認定し、そのことを別の人に伝え、それを聞いた人が、言われてみれば確かにそうだと、その認定を肯定的に共有するとき、この発言はしっかり一つの意味を持つのである。"I am a doctor."も同様に、それが一個のメッセージを伝える文として発言されるのにふさわしい状況を考えてみれば、「一人の医者」(a doctor) が「私」」( I )  の補語である意味が見えてくる。 例えば新幹線の乗客の一人が急に産気づいたとき、そばにいた人が自分は医者だと名乗り、応急処置をし、最寄りの駅でその人を降ろし、しかるべき病院に搬送するのを手伝う、と言った場合がそれだ。この場合、その状況を打開するのに欠けているのは、「自分は医者である」という情報の発信である。その情報が、周囲にいる人たちの間で共有されることが極めて重要だったのだ。

ほかの例を見てみよう。"You look pale. Are you all right? "では、真っ青になって苦しそうにしている人を、別の一人が見て、その人に話しかけ、気遣っているのであって、話しかけられた人(you)の「顔色が悪い」(look pale)のは、たいてい何かの病気のサインである。ひょっとすると、すぐに病院に行ったほうが良いかもしれない。その人にとって欠けているは血色の良さであり、自立できるだけの健康状態であるが、この危険な兆候を相手と共有できたとき初めて、合意の上で、医者に診てもらうという次のステップに踏み出せるのであっる。"Are you all right?" は、相手が「大丈夫」な状態にあるとは見えないことを伝えたうえで、相手の不具合の程度をまず確認しているのである。”I feel sick.”と相手が答えれば、すぐにも何らかの手が差し伸べられるかもしれない。ここでも埋めることが求められているのは、相手と自分の間を架橋する、意味深く重要な情報の共有である。また別の例、The parents named their baby John. では、まだ名前のついていなかった赤ん坊に,両親がJohn という名前を付けたことが、そのことに関心を持ってくれるはずの人たちに共有されることを願って、誰か自発的に関係者に向けた情報発信をした場合、などが考えられる。最近までその赤ん坊に欠けていたのは、両親がつける固有の名前であった。

名詞、すなわち、話者を含むあらゆる「存在者」は、自分、もしくはだれかの判断によって、自分もしくは誰かが、どのような状態、又は何をもたらす存在であるか、と言う情報を、必要に応じて、発話者が他者と共有するとき、これまでになかった新しい知見が加わり、次なる発展が可能になる。"Death seemed to have opened a season of its own." 「死があたかも一つの季節を開いたかのようであった。」(堀辰雄の「聖家族」の書き出しの文。英語は筆者の試訳。)は、作者と読者との間での多くの情報の共有が前提となる小説世界の書き出しである。死は多くの場合、かけがえのない人の命を奪う宝物の簒奪者であり日常の破壊者である。重く暗い運命の足音がするのが普通である。ところが、ここでは、あらゆる常套句の裏をかいて、「あたかも一つの季節を開いたかのようであった」と、ほとんどポジティブにも聞こえかねない、意外な情報がもたらされる。真っ暗な死の闇が、突如新しい季節の到来へと変貌する、という矛盾した内容を持つ一文が、人生に匹敵する謎を秘めたまま、読者の心を不意打ちにする。まるで、一度聴いたら忘れがたい名曲の主旋律のように。

 

 

 

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