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語彙力をつける――類義語の使い分け

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語彙力をつける――類義語の使い分け

語彙力をつける――類義語の使い分け

2022/06/30

語彙力をつける――類義語の使い分け

語彙力の本当の意味

 

語彙力をつける――類義語の使い分け

1. なぜ今、語彙なのか

私はかねがね、日本人が英語を習得する上で欠かせない三つの学びのポイント、あるいは領域、があると考えています。それは1)発音、2)語彙、3)文法、の三つです。

このうち3)の文法(英文法)については、昔からいろいろな学習参考書が書かれてきました。それらを読むと、英語の学習には英文法の知識が欠かせないことがよく分かります。なぜなら、日本語と英語では、言葉の配列パターンが大幅に異なり、冠詞や前置詞や代名詞など日本語の文法には見かけない用語や、英文の構造を知るのに欠かせない概念が幾つも紹介されているからです。

例えば、「文」(sentence)と言う概念もその一つです。一般的に言えば、ある人が別の人に何事かを伝えたいとき、その何かを情報(=メッセージ)と呼ぶならば、「文」は情報の最小単位だと考えてよいはずですが、英文法で言う「文」はそれだけでは終わりません。どの文法書も、「文」は原則として主語と動詞を不可欠の要素(element)として含んでいるというのです。まるで、「人間は必ず頭と胴体を備えていますね。「文」だって同じですよ。」とでも言っているように聞こえます。しかも、ご丁寧に、文に不可欠の要素であるという「動詞」をさらに五種類に分類します。さらに、それらの五種類の動詞に対応する五種類の「文型」が存在すると言います。これがいわゆる「五文型」です。そして、ついでに、その五種類の動詞に固有の名称まで与えます。第一文型は「完全自動詞」、第二文型は「不完全自動詞」、第三文型は「完全他動詞」、第四文型は「授与動詞」、第五文型は「不完全他動詞」、がそれぞれの文型を導くというのです。

ところで、人間は毎日誰かと様々な情報をやり取りし、議論をし、スピーチをし、電話やメールをします。そして、それが英語で行われる場合は、二つ以上の文が「関係代名詞」や「接続詞」によって結び付けられる場合もしばしばあります。こうして副詞節や形容詞節を含む「複文」(complex sentence)や and や but などの等位接続詞によって結ばれた「重文」(compound sentence)が生まれます。そのほか、「文」は疑問文、平叙文、感嘆文、祈願文、否定文、肯定文、などの下位区分を持ちます。

このように、「文」という概念一つを取ってみても、その内実は、多くの専門用語を使って初めて説明することが可能な多種多様な変化形をもち、複雑、かつダイナミックな構造を保持しています。

一方、日本人は、「文」という文字(=漢字)を、英文法で言うsentence 以外の意味で使うことが大変多いことに気付きます。例えば、「文」を「ふみ」と訓読みして「手紙」という意味で使いますが、ほかにも、作文、文章、小文字、文句、散文、古文、古文書、文武両道、文官、手文庫、文人、文房具、文学者、文学、人文画、人文社会学、文部科学省、文化、文明、などと広範囲をカバーしており、少しまとまった概念としては、文系、理系といった学問分野の分類にも使われます。ですから、日本では決して一義的に「文」=sentence とはならないのです。しかし、このことを裏返せば、今日、多様な媒体が伝える多様な英文を「文」から成るものとして正面から受け止め、それが内包しているメッセージを、一文ごとにしっかり受け止めなければならないということです。そしてそのためには、例えば「文」の概念をはじめとして、英文法の様々な基礎知識をしっかり身につけておく必要があります。

他方、1)の発音についても、英語と日本語の間には、すでに過去のブログで取り上げ、話題にしてきた子音と母音の両面にわたって、相当大きな隔たりがあり、この深い溝を飛び超えることは容易ではありません。例えば、right(右、正しい、権利)とlight(光、軽い)、rice (米)とlice(虱)の違い、またshe(彼女)とsee(見る、理解する)、think(考える、思う)とsink(流し)の違い、あるいはcoat(コート、上着)とcourt(テニスコート、宮廷、法廷)、hurt(傷つける)とheart(心、心臓)、but(しかし)とbat(バット、蝙蝠)の違いなども、しかるべき訓練を経ない限り、私たち日本人は容易に間違えてしまいます。私たちは、これらの典型事例の背後にある膨大な類似事例を踏まえ、英語を学ぶときにも、教えるときにも、慎重さと、きめ細かい配慮が求められます。あるいは、英語に特有の強勢アクセントの存在、それによって生じる多音節語内部の母音間の主従関係(強く長めに発音される母音と、弱く短く発音される母音の区別)、品詞間の発音上の主従関係(動詞や名詞、形容詞や副詞などは強く、前置詞、冠詞、接続詞などは弱く短めに発音される)なども、英語を音声面から学ぶ際、訓練の行き届いたインストラクターの配置が絶対的に必要な、厄介な問題です。

しかし、今日は3)の語彙の問題について少し詳しくお話ししたいと思います。と言うのも、日本人にとって、英語の語彙は、英語学習の最初から最後まで付きまとって離れない、最高に厄介な問題だからです。日本人は、発音と文法については、それなりに、問題の深刻さを意識していますが、語彙の問題の難しさについては、まだまだ認識が浅いように見受けられます。

語彙は一般に、ある特定の言語、もしくは特定の分野において、今日までに知られている語の総数、あるいは専門家が知っているべき重要語の総数、のことだと捉えられています。一方、英語学習の一環として捉えられている vocabulary-building と言う言い方は、個人にとっての語彙の増強を想定しています。ですから、個人の語彙と言えば、ある人が知っている、ある言語の総単語数という意味です。「語彙」の簡単な定義としては、多分これくらいでよいはずです。

ただ、英語学習の目標としての語彙となると、私たちは、かなり考え方を変えねばなりません。日本人がイメージしがちな「英語の語彙」なるものには、発想の根本的転換を迫る問題が潜んでいる、と考えられるからです。その問題に迫るために、「英語の語彙」に関する世間一般の考え方を検証してみましょう。

例えば、英検一級を受験したある知人の感想では、語彙問題として、相当に難しい語が出題されたそうです。また、市販のTOEICの語彙に関する対策問題集を見ても、980点を目指す最高レベルの問題集を見ると、英語の本や雑誌を読んでいてもめったにお目にかからないような難しい語がずらりと並んでいます。要するに使用頻度の少ない単語をどのくらい多く知っているかがこの手のテストのポイントなのです。ある特定の人の英語力を測る物差しの一つが、その人の知っている語の総数、すなわちその人の「個人的な語彙数」であることは、勿論、議論の余地のないところです。しかし、学習理論的に見ると、語彙の増強法において、本来のあるべき姿から遠ざかった、的はずれな学習に傾いているのではないかと危惧されます。

だれでも、英語を学び、英語に習熟するにつれて、自分の知っている語の数が増えるのは当たり前のことです。また、相当量の英単語を知っていなければ、海外での生活が成り立たないのも事実です。しかし、TOEICの成績は良いのに、期待したほどスムーズに英語が話せないケースもあれば、その逆もあります。となれば、TOEICでも英検でも、それに向けての試験対策がそれなりに有効であることは間違いありませんが、それはあくまでも一過性の対策に過ぎず、人が一生をかけて踏破すべき英語学習の王道ではない、という事実にできるだけ早く気付く必要があります。書店の一角を我が物顔に占拠するTOEICの対策本がすべて不要だとは言いませんが、英語学習の一環として英語の語彙を習得するのであれば、枝葉をそぎ落とした日英対応型丸暗記方式によって、見た目の語彙量を一気に増やそうとすることの危険性を知っておく必要があるのです。

英語に限らず、言語学習において一番重要なのは、身近なコミュニケーションの場で使われる3000~5000語、すなわち汎用性の高い日常語のマスターであることは、論を待たないところです。日本人は、日ごろめったにお目にかからない難しい語を競ってマスターするよりも、毎日使われている基本語の使い方に習熟することの方が、一層重要なのです。それは何故でしょうか。

「いや、自分は3000語程度の易しい語はとっくにマスターしているから、今はもっと難しい語を一杯覚えたいのだ、それのどこがおかしい」と反論されるかもしれません。誠におっしゃる通りです。でも、本当に、簡単で易しい基本の3000語をマスターしましたか、と逆に質問したら、その方は何と答えられるでしょうか。その方はきっと、「自分はそれらの単語をマスターしたと言ったはずだ、私の言葉が信用できないのか」とおっしゃるはずです。

でも、まさかとは思いますが、基本単語3000をマスターしたとおっしゃる意味が、もしや高校入試や大学受験の対策として、単語カード一枚ごとに、表に英単語一個、裏に訳語一個か二個を書いて、それを全部暗記したという意味でおっしゃっているのであれば、真に「英語の単語をマスターする」こととは程遠いのです。なぜかと言うと、発音や文法だけでなく、語彙の面から見ても、日本語と英語の間には、日本人が気づきにくい大きな隔たりが存在するからです。そして、その故に、英語は、語彙の面から見ても、日本語の常識が全く通用しない別世界なのです。

でも、その隔たりとは、一体何なのでしょうか。そんなものが本当に存在するのでしょうか。それを比較的容易に見つける方法が一つあります。試みに、日英両言語に存在する類似の語群を取り出して、具体的に比較対照してみると良いのです。お互いに類似的に見える語が、それぞれ固有に持っている意味の守備範囲で見ると、大きく異なる場合が決して少なくはないからです。

例えば、get は手に入れる、と言う意味でよく使われます。I had some difficulty in getting a ticket for the concert.と言えば、ある人気コンサートのチケットがなかなか入手できなかった、という意味です。また、I got a message from him just now. と言えば「たった今、彼から連絡が入った。」という意味です。どちらも「手に入れる」という意味でget が使われています。しかし、

①I got tired.

と言えば、「僕、疲れた。」と言う意味です。日本語では「僕は疲れを手に入れた。」とは言いません。ここで使われている get の意味は「~(という状態に)になる」という意味です。また、

②Get going!

と言えば、「さあ、行け」とか「(手筈通り)取りかかれ。」と言う意味です。でも、日本語では「行くことを手に入れろ」とは言いません。また、

③Get it done.

と言えば、「それをやり遂げろ。」と言う意味です。それから、

④I’m getting excited.

と言えば、「こいつは面白くなってきたぞ。」と言う意味です。あるいは、

⑤Get’em.

と言えば、「(そいつらをを)やっつけろ、仕留めろ。」と言う意味です。ですから、「get=~を手に入れる」とだけ覚えていると、それ以外の答えはテストで×になる恐怖から、「何かを手に入れる」以外の意味でget を使う可能性に目をつぶることになります。言い換えれば、日英の単語を一対一で対応させることを基本にして語彙力を増やす方法自体が、それ以上の、あるいはそれ以外の、学びの可能性に対して抑制的に働き、学習者は知らない間に一種の視野狭窄に陥る可能性があるのです。

get=「手に入れる」の他に、have=「~を持っている」もよく知られている基本語ですが、 have は完了形の一部として、助動詞的に使われることがあります。あるいは、have to~ と言えば、「~しなければならない」という意味でよく使われます。口語では、have to~ の代わりにhave got to~がよく使われます。例えば、I've got to see him. と言えば、「彼にどうしても会わないといけないんだ。」という意味です。 have の面白い使い方としては、I have a bad memory for names.「人の名前を覚えるのが苦手です。」とか、I have no idea at all about his age. 「彼が何歳か全く見当もつきません。」などがあります。また、Did you have a good time? は「楽しめましたか?」という意味でよく使います。これらの使い方は、have=「~を持っている」という日本語を離れて覚えておきたい使い方です。単語ごとに、二三の典型的な日本語訳をあてがう覚え方ではなく、簡単な語の様々な使い方を、事例と共に、拡張的に学び続けることこそが大切なのです。get や have だけではなく、日常的によく使われる、ありとあらゆる動詞や形容詞や副詞、また接続詞や前置詞について、それらを含む、基本3000語を一つの目安として、それらの語の汲めども尽きぬ豊穣な世界に親しみ、ありとあらゆる簡単で便利な使い方について、使用事例を参照しつつ、学び続けることが、英語学習の初期段階において、とりわけ重要なのです。

2.類義語の比較――「見る」またはsee をめぐって

 一方、日英両言語ともに、それぞれの言語の内部での類義語間に、細かな相違が見られます。例えば、英語には、日本語から見ると、「見る」という意味で使われる幾つかの異なる語、いわゆる類義語が存在します。see, look, watch, observe, perceive などがそうです。しかし、これらの類義語には、それぞれ、固有の守備範囲というべきものがあって、実態としては、精妙かつ微妙な、単語間の棲み分け、あるいは使い分けがあります。同様に、日本語にも、「見る」という意味で使われる幾つかの語、いわゆる類義語が存在します。しかし、日本語の面白い特色として、見る、診る、看る、観る、視る、と言うように、同じ「みる」と言う発音の中で、異なる語としての使い分けが、異なる漢字を当てはめることで顕在化します。これは日本語の「みる」に元来含まれていたニュアンスの異なる意味合いが、外来の文字、すなわち漢字に触れることで顕在化したとも受け取れます。

他方、漢字文化がもたらした新しい意味、新しい語彙が、「見」「診」「看」「観」「視」をめぐって日本語に次々に付け加わりました。例えば、見学、見物、物見遊山、見所、拝見、などの語が生まれ、また、検診、診療、診察、診断、と言った医療関係の言葉が生まれ、看護、看過、看守、看板、看取りなどの大事な語彙、また、観光、観覧、観察、観客、客観的、観戦、観測、観念、などの幅広い言葉、さらには、視察、視力、監視、視野、視点、軽視、無視、などの日常生活に欠かせない語彙が、近代になって日本語に加わりました。

 では、英語のsee という一語の内部には、日本語の「見る」に匹敵する、どんな意味の棲み分けがあるのでしょうか。まず、大まかに言えば、see の原義は、目で見て何かの存在を確認することです。ですから、

①What do you see around you?

と言えば、「あなたの周りに何が見えますか?」という意味です。視認できるものを挙げればよいのです。そして、これが最も普通の使い方です。しかし、「見る」から「見て分かる」、そして「分かる」と変化してゆく方向があります。

②I’m beginning to see your point.

と言えば、「(なるほど、)そうだったんですね。」という意味です。相手の話の要点が、ようやく「理解できる」ようになった時の言葉です。一方、

③See to it that they never forget to wear their masks while talking to other people.

と言えば、「誰かとしゃべっているときはマスクを着用するよう(あなたの責任において)、きっと彼らに心がけさせてくださいね。」という意味です。ここでは、see はsee to itという熟語の一部として使われています。See to it that ~ は決まった言い方で、「見る」でも「理解する」でもなく「(あなたの責任において)確実にAがBをするように、あるいはAがB であるように、「仕向けなさい」(~となるよう見届けなさい)」という意味です。まだ実現していない未来に積極的にかかわり、ある目標を達成しなさい、という意味合いが含まれています。日本語的に言えば、「見届ける」が一番近い表現です。

また、look は「眼(まなこ)を開いて~をしっかり見る」「自分の視線を~に向ける」が原義です。ここからいろいろな意味が派生します。例えば、わざわざ命令法を使って、

①Now look.

というと、相手の注意を喚起し、何事かについてしっかり念を押す表現になります。日本語で言えば、「いいかい」とか「さて、よろしいですか。」に相当します。また、

②Look into my eyes.

と言えば、「私の目を見てごらん。」という意味で、暗に隠し事はなしよ、という意味を伝えることができます。

③Look out!

はもちろん、「危ない!」という意味です。例えば、スマホを見ながら歩いている友人に、自転車とか自動車がぶつかりそうになった時などに使います。注意力を外に向けることが絶対に必要であることを告げる言葉です。また、注意力と言えば、Look for ~ は、「(注意力を発揮して)~を探す」という意味です。下ばかり見て歩いている人に、

④Are you looking for something?

と言えば、「何かをお探しですか?」と話しかけてあげるときの言葉です。しかし、 lookは「AがB(であるかのよう)に見える」というときにも使います。日本語的に言えば、「~を見る」ではなく、「~に見える」に近い用法です。

⑤You look tired.

と言えば「(あなた)お疲れのようですね。」という意味です。また、

⑥You look nice with your hat on.

は「その帽子お似合いですね。」という意味になります。どちらの場合のlook も「私の目にはあなたは~に見える」という意味合いがこもっています。ですから、

⑦You look happy.

は「(あなたは私から見れば)うれしそうに見えますよ。」という意味です。⑤~⑦では、発話者自身の自分の判断への絶対的な信頼、すなわち自信が前提になっていて、その意味では「断言」に近い言い方なのです。自分の観察を、自信をもって人に告げる、というところがポイントです。ですから、命令的に「(外見を繕って)うれしそうにしていなさい。」と言いたいときには、Look happy. とは言いません。

①Make every effort to look happy.

とか

②Pretend to be happy.

とか、あるいはちょっと堅い表現ですが

③Simulate your happiness.

と言います。lookは「~を見る」「~に見える」という意味では使えますが、「~であるように見せる」という意味には使えないのです。

次にwatch という語を見ていきましょう。watch は例えばテレビを見るときに使います。“I often watch TV programs covering recent developments in the Ukrainian war.” といった使い方ができることを多くの人が知っています。けれども“see a TV program” とは言いません。なぜでしょうか。それは、“watch”には、少し古い使い方として、「寝ずの番をする」「夜通し監視をする」といった意味合いで使われていた語だからです。つまり、「注意深く監視する」といった意味合いが元来の使い方なのです。そう言えば、テレビ番組の多くは、災害、戦争、痛ましい事故などの報道でも、気候変動問題でも、物価上昇の問題でも、番組制作者が用意した詳しい資料や精度の高い情報に基づく、専門家の厳しい見通しや予想を多くの国民に伝え、一緒に考えてもらうのが基本です。ですから、視聴者は番組を丁寧に見て、内容を細大漏らさず受け止めようとします。こういった心構えや態度が、watch本来の語感とぴったり合うのです。一方、seeは「たまたま目に入ったものを、予断を持たずに見る」とか、「百聞は一見に如かず」といった意味合いで使われます。テレビの視聴とは相いれない語だということを感覚的に知っておく必要があります。see=「見る」という公式で暗記していると、全く対応できないことに注意してください。

では observe と perceive はどうでしょう。“observe” の一般的な使い方は「~を観察する」という意味です。例えば、ある天文学者が電波望遠鏡などを使って、はるか彼方の天体を「観測」し、宇宙の謎に迫るとか、生物学者が電子顕微鏡を使ってウイルスの特徴を細かく「観察する」というときに使う言葉です。意図的、意識的、能動的なニュアンスが伴います。また、“observe” は法や規則などを「遵守する」という意味で使われることもあります。“perceive” は、ある与えられた状況の中で、人が何事か重要なことを、自分の五感を働かせて感知する、もしくはその場の空気から何事かを鋭敏に察知する、という意味です。

これらの事例からわかることは、一語の中でも様々な意味での使い分けがなされており、類義語のグループを見ても、内部的に、単語間の棲み分け、使い分けが徹底しています。したがって、英語の語彙を学ぶときには、日本語の訳語に頼るのではなく、英語を英語のまま、個々の語に応じて、その様々な使い方に習熟するのが一番だということです。でも、それはどうすればできるのでしょうか。

3.英和辞典と英英辞典の使い分け

一番のお勧めは、英英辞典に切り替えて英語を学ぶことです。英英辞典は、もはや日本語の訳語は一切提供してくれません。最初は、なんだか心もとない気がしないでもありませんが、慣れてくると、英語の単語をひたすら英語で説明するという作業が、見ていてごく自然に思えてきます。そして、ある一つの単語の様々な使い方を学ぶことが、その単語のいわば「全体像」をつかむのに大変有効であることが分かってきます。例えば、一つの単語が、名詞に使われる場合と、動詞に使われる場合と、また、動詞でも、目的語を取る場合と取らない場合とがあることもよく分かります。よく使われる意味については、例文が載っていて、それを見れば、その単語の典型的な使い方が一目で分かるようになっています。語源にも詳しい英英辞典の場合、一つの単語が、元来どのような意味で使われ、それがどのような意味に変化して使われるようになったか、意味の変遷の歴史に触れることも出来ます。これらをワンストップで把握し、その全体像をしっかりつかんだ単語は、多くの場合、その人にとって、スピーチやライティングでも「使える語」の部類に入ります。何とも、心強いですね。

一方、英和辞典は、英語を日本語に訳すことを頼まれたときに頼りになります。英英辞典を見て、この単語はこういう意味であり、従ってこの英文はこういうことを言いたいのだから、日本語はこう訳すのが良いかなと思っても、英和辞典を見ると、もっと適切な訳語が見つかることがあります。また、経済用語、科学用語、医学用語、法律用語など、専門的な言葉の正しい訳語を見つけるには、まずは、日本で最も権威のあるとされている大英和辞典を調べることをお勧めします。

でも英語学習者が英語の語彙を増やそうというとき、何と言っても、普段からこつこつと英英辞典を引き続けることに勝る学習法はありません。英語の語彙は、それが使える語と、その意味を知っているだけの語とに分かれます。これは車の両輪です。どちらが欠けても、真の語彙増強にはなりません。それが使える語というのは、日常のコミュニケーションで、口を開けばすぐ飛び出てくるほど、日ごろ使い倒されている超便利な単語たちのことです。超便利という意味は、一つの単語で何十通りもの使い方ができるだけでなく、様々な前置詞などを組み合わせると、慣用的な使い方の分厚い層が、さらに何十通りも上乗せされる一般現象を指します。また、in や on や of などの前置詞も、それぞれに様々な使い方があり、それらを全部挙げていくときりがありません。毎日地球上で何百億回と使いまわされている超便利な日常語に、まずはしっかり習熟することの学習効率の良さを、是非一度考えてみてください。

 

 

 

 

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