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be動詞について

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2020/12/21

be動詞について

万物の存在の不思議

存在ほど不思議なものはない。ある物理学者は、一億分の一秒しか存在しない粒子が実際に存在したことを証明できる装置を開発し、同じように短命ないくつもの粒子の痕跡をとらえることに成功したそうである。また、別の天体物理学者は、宇宙の2兆年後の様子をコンピューターで計算している。

一億分の一秒の存在を扱う物理の世界から見れば、100年近く生きる人間の寿命は途方もなく長く見えるに違いない。ところが、2兆年のスパンで宇宙の変化を予測することを仕事にしている研究者にとっては、人間の寿命は限りなく短く、果たして存在していると言えるのかさえ怪しくなるであろう。人間は、はかない存在である。シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の主人公ハムレットは、自分の命を狙うものの存在を鋭い勘で察知したのか、剣術試合の直前に妙に胸騒ぎがすると親友のホレイショ―に漏らす。それでは試合を中止しましょうか、と言う彼に、自分は迷信など信じない、やるべきことをやるまでだ、人間の命は所詮、一と数えるだけの間のものでしかない、死は、今でなくてもいつかは来る、覚悟こそが肝要だと言う。彼はかつて、汚れたこの世を捨てて、尼寺へ行くがよい、と恋人のオフィーリアに言ったことがある厭世家でもある。

ハムレットは自分だ、と感じる人は多い。ハムレットの生きる世界は、ある意味、時代も地勢図も超越しており、わたくしたち「人間界」の永遠の鏡像である。『ハムレット』のストーリーを掻い摘んで辿ってみよう。ハムレットは、ホレイショーや見張りの兵士たちから、先王そっくりの亡霊が三晩続けて城壁に現れたとの報告を受け、彼らと一緒に見張りに立った夜、死んで間もない自分の父(先代のデンマーク王)の亡霊が現れ、自分はハムレットの叔父(現在のデンマーク王)のクローディアスに、午睡中に耳に毒を流し込まれて殺され、王位と妃を奪われた、何としても復讐をしてくれ、と頼まれる。一旦は復讐を誓ったハムレットだったが、あの亡霊は悪魔で、自分を滅ぼすために嘘を言っているのかもしれない、と後に疑い始める。その疑いを晴らすために、たまたま旅回りの役者一行がデンマークに立ち寄った際、彼らに、亡霊に聞いた話そっくりの芝居を王の前で演じさせ、自分とホレイショーは王の反応をじっと見守ることにする。芝居を見た王がちょっとでも動揺を見せたら、亡霊の話は信用してよいことになる。

さて、芝居を観始めたクローディアスは、あるところまで来ると急に激高し、「明かりを持て!」と叫びながら席を立つ。これを見る限り、クローディアスの心証は限りなく悪い。にもかかわらず、ハムレットは、その後すぐに亡霊との約束を果たすわけではない。クローィディアスが、ひとりで神の前にぬかずき、罪を告白しながら祈っている姿を目撃した時さえ、ハムレットは、今こそ好機、今なら簡単に復讐ができる、と思う。しかし、ここで殺したら、クローディアスは懺悔の最中に死ぬことになり、罪を許されて天国へ行ってしまうかもしれない、もっと確実に地獄に落ちるときまで待つのだ、と千載一遇のチャンスを逃してしまう。「え、そんな理由で見逃すの?」と言いたくなるかもしれない。これぞまさしく、ハムレットの優柔不断な性格の露呈であると言われかねない。しかし、こののちすぐ、ハムレットは決定的なミスを犯してします。母親に呼ばれて彼女の寝室に行き、お前の不作法さが義理の父親を怒らせてしまったではないか、と叱られると、ハムレットは逆に、母のあまりにも性急な叔父との再婚は、いろいろな点で、とても見苦しかった、と舌鋒鋭く詰め寄っていく。狂気じみた憎しみと容赦ない言葉の切っ先に身の危険すら感じた母親ガーとルードは、私を殺すつもりか、誰か助けて!と叫ぶ。壁掛けの後ろで一部始終を盗み聞きしていた重臣ポローニアスは、そのとき我を忘れて大声を出す。それを聞いたハムレットは、壁掛け越しに剣を突き通し、それと知らずにポローニアスを殺す。王の重臣のポローニアスは、実はハムレットの恋人オフィーリアの父親でもあった。また、ポローニアスには、パリに留学している息子のレアーティーズがいた。恋人に父を殺されたオフィーリアは、それ以前から、ハムレットに「尼寺へ行け」と言われていた。彼女は、ハムレットがイギリス送りになった後、とうとう気が狂ってしまう。一方、ハムレットと入れ違いに、パリから帰ってきたレアーティーズは、変わり果てたオフィーリアを見て気も狂わんばかりに嘆く。その後、クローディアスから、ポローニアスを殺したのはハムレットだと聞かされ、妹の分も合わせて、復讐に燃える。

いつの間にか、実に見事にバランスの取れたストーリーラインが立ち現れてくる。自分の父親の復讐に乗り出したはずのハムレットは、今や逆に自分が復讐の対象になるのだ。一連の動きの引き金を引いたのは、勇猛果敢な王として名声を博していたデンマーク王の弟が、兄に対してい抱いた嫉妬であり、巧妙かつ卑劣な犯罪である。芝居が始まった時点で、クローディアスのこの秘密を知るものは誰一人いなかった。今は亡きハムレットの父の亡霊を除いて。それにしても、作り物の芝居によってクローディアスの良心を罠にかけたハムレットの知恵は、クローディアスのそれを上回ったとも言える。ただ、ハムレットは、因果は巡るという事実も思い知らされることになる。復讐へと動けば、自分もわが身に呪いを引き受けることになる。復讐の因果律によって、動いた分だけ自分に跳ね返ってくるのである。それはもう、人知を超えた運命の働きである。一見、偶然としか思えない出来事の連鎖が、やがて思いもかけない結末を用意する。剣術試合に真剣を使い、ハムレットを事故で死んだように見せかけようとクローディアスがレアーティーズに提案すると、レアーティーズは、ではその剣先に毒を塗ろうと応ずる。それでも安心できないクローディアスは、試合の途中でハムレットに勧めるワインに毒を仕込んだ真珠を入れておこう、と策略をめぐらす。真剣で傷を負ったハムレットは、そこに鋭く策略を疑い、剣を取り換えて、レアーティーズに傷を負わす。死を悟ったレアーティーズは、一転してハムレットに許しを請い、すべてはクローディアスが仕組んだことだと黒幕を暴いて死ぬ。また、ハムレットを応援するつもりで、真珠入りのワインを飲んだ妃は、すぐに血相が変わる。血を見て気を失ったのだ、と言い繕うクロ―ディアスの声を抑えて、いや、酒だ、酒のせいだ、と証言して死ぬ。

こうして、クローディアスの悪だくみはすべて白日の下に晒される。ハムレットは最後の力を振り絞って、クローディアスを刺し殺す。しかし、ハムレットも、その後ホレイシーに抱かれながら、息を引き取る。

舞台に横たわるすべての屍を運び去るのは、遠征から本国へ帰還の途中に立ち寄ったノルウエーの王子フォーティンブラスである。彼は、かつてハムレット王との一騎打ちで父親が敗れ、約束によって失った領土を力ずくで取り返そうと企てたのを、叔父にいさめられ断念し、今は隣の国へ遠征に出かけての帰り道だった。ここでもさらに、因果は巡る、である。

復讐はどこかで誰かが手を止めなければ、どこまでも連鎖反応は及んでいく。事態はますます悪化する。ただ、この物語の結末は、いかにも大悲劇の結末にふさわしい。多大の犠牲者が出た後、しかるべき人物に後事が託されるからである。デンマークの王家は確かに滅びた。けれども、滅びるほかはなかったほどにデンマークは病んでいたのではなかったか。Something is rotten in the state of Denmark. とは有名なハムレットの言葉である。宮廷の中枢におぞましい犯罪が隠蔽されており、重臣たちもそれと知らずに隠蔽に加担していたからである。

そのような状況の中で人はどう生きればよいのか。何もしなければ、ハムレットは死ななかったかもしれない。オフィーリアもレアーティーズも死なずに済んだかもしれない。あるいは、さっさとクローディアスを殺していれば良かったのかもしれない。しかし、もちろん、それでは名作『ハムレット』は生まれなかった。『ハムレット』のストーリーはどの細部一つも動かせないほど巧妙に、稠密に組み上げられている。すべてが絡み合って、大きな模様を描き出している。まさに神業なのだ。

さて、ハムレットと言えば、もちろんTo be or not to be, that is the question. があまりにも有名である。でも、ハムレットは本当に優柔不断な人物なのか。迷っているのは確かである。Aなのか、Bなのか、と。でも、そもそもTo be とはどういう意味なのか。「生か死か、それが問題だ」「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」など、いろいろな訳がなされている。To act or not to act でも、To kill or not to kill でもなく、To be or not to be なのだ。これでは何が to be なのかはっきりしない。主語が明示されていないのもきにかかる。それは果たしてハムレットの心が決まっていないせいなのか。T.S. Eliot はそれはシェイクスピアの心が決まっていなかったからだ、と言う意味のことを述べている。確かにハムレットは迷っている。しかも、自分の全存在をかけて迷っている。心の底を絞り出すように、迷っている。魂の叫びに聞こえる。しかし、真の問題は、そこまで深く、そこまで真剣に、ハムレットは何を迷っているのか、である。

"to be" はbe 動詞の原形 be に不定詞を示すto がついている形である。つまり、ハムレットを含め、人間は「存在する」のか、それとも「存在しない」のか、と自問している、と捉えるのが一番自然なのではないか。つまりどうすれば、人間は「存在している」とされることになるのか、が問題だと言っているのではあるまいか。二兆年後の宇宙の姿を思い描こうとする人もいれば、一億分の一秒しか存在しないものの痕跡を追い求める人もいる。この無辺際の宇宙の中で、一体全体、人間とは何者なのか。それは「存在する」と言えるのか、言えないのか。それこそが問題なのではないだろうか。もちろん、答えなどどこにもない。ただ、一瞬一瞬を無我夢中で生きることができるのみである。無知蒙昧に。わき目も振らずに。そう、まさにハムレットが生きたように。

 

 

 

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